とはいえ、人形みたいだからこそ、アイドルとして成功できたのだろう。ふんどしカレンダーやヌード写真集が売れたのも、母が狙い、世間が期待した新時代のセックスシンボルという役割を彼女が一生懸命、演じたからにほかならない。

愛に飢えた子ども時代

 また、筆者と同じ時期に取材した知人からはこんな話を聞かされた。「地球が滅亡するとしたら、最後の日をどう過ごしたいか」という質問に、彼女はこう答えたという。

お母さんと一緒にいる。一緒にいて、サンドウィッチを食べたい

 親の離婚で父とすぐに生き別れ、母とも10歳まで別々に住んでいたというりえ。そう、彼女は愛に飢えた子どもであり、哀しみという感情を持った人形だった。そこを秘めつつ、明るく振る舞ったところに、アイドルとしての魅力があったわけだ。

 が、破局とその後の迷走は彼女が実は無理をしていたことを浮き彫りにした。そして、その身の上に同情したり、悲劇性に欲情したりする人が現れる。例えば、倉本聰や山田洋次は彼女に薄倖な役を与え、新たな魅力を引き出した。

 正直なところ、破局したころの彼女は女優としての評価がいまひとつだったものだ。当時のメディアは「代表作がなかったりえにとって、この会見が代表作になるだろう」などと書いた。

 そこを変えたのが「悲劇のヒロインにはなりたくない」というやせ我慢発言である。これにより、彼女の明るさが一種の強がりで、心の奥底では悲劇のヒロインになりたがっていたのでは、と気づく人が出てきたのだ。彼女自身、役の上でなら自分の哀しみを表現できるようになった。それは破局後の彼女に世間が抱いたイメージとも見事にハマり、女優開眼がもたらされるわけだ。

 いわば、ひとつの名言が女優・宮沢りえを作ったのである。

PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。