四郎さんがステージで歌ったのはなんと30年ぶりだったという。そんな四郎さんの熱唱に客席も涙。そのライブの様子は、翌日のスポーツ紙を賑わせ、ファンにとっても本人たちにとっても“忘れられない夜”になったのだ。

弟を思う、兄・一徳の優しい言葉

 のちに、兄の一徳は週刊女性の独占インタビューでこう振り返っている。

ギリギリまで四郎も自信なかったみたい。だけど、武道館に向けて頑張っていましたよ。カラオケで練習したり、歩行の訓練をしたりね。(中略) 

 四郎は立って歌いたかったんです。当日はイスに座ってという形になりましたけどね。舞台袖までは車イスでしたが、ステージ上では歩くという目標はクリアできた。
 
 ただ彼は元気なときに歌っていた記憶、しゃべっていた記憶があって、そのときの自分と今を比べてしまうんですね。でも、そんなこと忘れていいんですよ。まだまだ気力はあるし、面白いことも話せる。もともと持っているおもしろさがありますからね。

 久しぶりに四郎の歌を聴いて、えこひいきじゃなく、歌は大丈夫だと思いましたよ。高い声も出ていましたからね。自信がないだけなんですよ」(2012年2月21日号より)

 その後、'13年に『ザ・タイガース』は正式に再結成し、四郎さんはその年のライブツアー最終日の東京ドーム公演に車椅子で出演。それが最後の公の場となった。

 ずっと闘病を続けながら復帰を目指していたという。

「四郎は僕よりもよっぽど才能がある。司会だって面白いし、俳優の部分だって」(前出の一徳インタビューより)

 ミュージシャン、俳優、タレントとしての才能に溢れ、その独特なキャラクターで多くの人に愛されていた四郎さん。またステージで歌う姿が見たかった、そのお芝居を、四郎節を、再び見せてほしかったーー。突然の訃報に驚きと悲しみの声が広がっている。