福島で被災者に励まされたことも

原田 視聴者にとっても、目新しい存在だったのかもしれないですね。

山路 そうですね。2010年の年末に騒動が起きて、その3か月後に東日本大震災が発生しました。震災をきっかけに本業に復帰して、被災した福島県の南相馬市の避難所にも取材に行ったんです。

 すると、避難している人に「山路さんだろ!? 私らも大変だけど、あんたも大変だな。こんなところまで来てくれてありがとう」と言ってもらえたんですよ。その言葉は、とても力になりましたね。

原田 それはうれしいですね……!

山路 原発周辺から身ひとつで逃げてきた人たちに「がんばれ」と言われたら、がんばらないわけにいかない。

 原田さんは、謝罪会見をすぐに開き、その後もバラエティーにもどんどん出演して自らアクションを起こしていますよね。ただ、昨年末の『笑ってはいけないシリーズ』は「そこまでやる!?」という気はしました(笑)。

原田 アハハ! たしかに「そこまでやらなくていい」という声はあります。正直なことを言えば、自分の過ちをネタにされるので、やりたくはないです(笑)。でも、せっかくケガをしたんだから、この傷も何かの役に立つかもしれない、と思って全力でやりました。

山路 本当にスゴいなと思いましたよ。きっとご家族への禊の意味もあっただろうし、仕事と誠実に向き合う姿に衝撃を受けました。

原田 見ている人に「原田龍二、いろいろやっちゃったけど、がんばってるんだな」と思ってもらえるとありがたいです。

山路 実は僕も今年『水曜日のダウンタウン』の「マジメな番組ならズボン履いてなくても分かんないんじゃないか説」という企画で、ズボンをはいていないテレビコメンテーター役のオファーが来たんですよ。

 依頼が来たときは、またバラエティーの色が強くなっちゃうな……と、少し迷ったんです。でも、年末の原田さんの雄姿を思い出して「俺は何を言ってるんだ、原田さんはあんなにがんばってたじゃないか!」と考え直して、快諾しました。

原田 アハハハ! 僕はその放送を拝見してましたよ! おもしろかったです。

山路 原田さんが、僕の背中を押してくれたんですよ。

原田 よかった! 脱いだかいがありました(笑)。

【本日の、反省】山路さんは、あたたかくてスマートですよね。決して相手を緊張させない物腰のやわらかさで、とてもリラックスしてお話しすることができました。表面だけの優しさじゃなく、取材で戦地や被災地での取材など、いろいろな“修羅場”をくぐってきた経験に裏打ちされた優しさだと思います。今日のお話をお聞きして、僕は勝手に山路さんと腹のくくり方が似ているような気がしました。またお話ししたいです!

《取材・文/大貫未来(清談社)》


原田龍二(はらだ・りゅうじ)……1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、YouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!
山路徹(やまじ・とおる)……1961年、東京都生まれ。TBS、テレビ朝日系プロダクションを経て1992年に国内初の紛争地専門のニュース通信社・APF通信社を設立。世界の各紛争地の取材、記者やレポーターの派遣などを行う。2011年の東日本大震災で被災地の動物救出活動をきっかけに動物愛護活動に取り組み、動物愛護啓蒙ユニットHGA48(保護アニマル48)を結成し、YouTubeで動物ニュースなどを配信している。2019年“川島なお美動物愛護賞”で「ワンダフル・パートニャーズ賞」受賞。