捨てられない〇〇

 今作のタイトルにもなっている“感謝離”。「今年の流行語大賞に推薦したかった」と、ふたりは言う。

中尾「原作を書いた河崎さんが、“感謝離で(遺品を)全部処分しました。残っているのは写真1枚だけです”と。そう聞いて、ふと、写真って自分でも捨てられないけれど、残されるといちばん厄介だなと思いました。われわれの年代は、捨てるという言葉に敏感だから、ついついため込んでしまう。でも、感謝離だと思うと、気持ちを楽に整理ができる。そう言っても、まだできていないんですけど(笑)

尾藤「“ありがとう”って感謝離するっていいですよね。僕もね、捨てられないものがありますよ。洋服ダンスの中の服で、かれこれ8年くらい着ていないものが」

中尾8年前の服なんて入りやしないでしょ

尾藤いや、上は入るんですよ。でも、下はパッツンパッツン(笑)

中尾「感謝して捨てなさい」

尾藤「はい、わかりました」

中尾「この作品を見ると、すべて日常のことだけど、いかに感謝するということをやっていないか思い知らされます。原作の河崎さんって、人生の終末期にこんな素敵なものを残して、奥さんにもいいご供養ができているじゃないですか。それに、人生で自分のストーリーが映画になるなんて、ありえないこと。だから、本当に最後の最後まで何が起こるかわからないと感じましたね

尾藤「この作品が公開されてすぐに77歳、喜寿になるんです。そういう意味でも記念の作品になりました。10年後の米寿でも、何かできたらいいですね

Q ふたりの初対面は?

尾藤「僕の思っているミエさんとの初対面が、ミエさんのと全然違うんです」

中尾「何よ、言いなさいよ」

尾藤「ミエさんは、音楽バラエティー番組の『森永スパーク・ショー』('62年〜'63年)に出ているスパーク3人娘のひとりだったんです。僕は、その番組のスパークボーイとして出ていて。そう言ったら、ミエさん、“え〜っ!? あんたいた?”って(笑)

中尾「私は、それよりもっと前なんです。ジャズ喫茶でブルー・コメッツをバックバンドに歌ったときがあって。そこに尾藤さんが革ジャンかなんかをね、手を通さないで肩にかけてきて。なんか粋がったやつが来たなって(笑)。それが初めての出会いでした」

尾藤イサオ(びとう いさお) 1943年生まれ、東京出身。18歳で歌手デビュー。'66年には、ビートルズ日本公演の前座として故・内田裕也さんらと出演。『悲しき願い』『あしたのジョー』の主題歌など名曲を歌うとともに、俳優業でも日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』(TBS・'19年)など約50年にわたり数々の作品に出演。本作で、劇場映画としては初の主演を務めた。

中尾ミエ(なかお みえ) 1946年生まれ、福岡出身。'62年、デビュー曲の『可愛いベイビー』が大ヒット。紅白歌合戦に連続8年出場を果たすほか、伊東ゆかり、園まりと“3人娘”としてトリオを組み絶大なる人気を誇った。その後、女優としてもテレビ、映画、ミュージカルと活躍の場を広げ、現在『5時に夢中!』(TOKYO MX)の金曜コメンテーターも務めている。

(C)2020「感謝離ずっと一緒に」製作委員会 (C)河崎啓一/双葉社
(C)2020「感謝離ずっと一緒に」製作委員会 (C)河崎啓一/双葉社

映画『感謝離(カンシャリ)ずっと一緒に』 
イオンシネマほかにて全国公開中 配給:イオンエンターテイメント