朝ドラは、過密スケジュールゆえに後半になるほど大規模ロケができなくなり、凝った演出が減って、会話劇ばかりになっていくことが多い。

 力のある脚本家なら、会話劇だけで話を面白くすることができるのだが、大半の朝ドラが終盤で物語が停滞してしまうのは、大抵、スケジュールの都合である。

 しかし『エール』は話数を減らし、演出家主導の朝ドラだったため、今までとは違う映像表現を多数実現していた。

『エール』で感じたもどかしさ

 一方、短所は構成のチグハグさ。これは脚本の問題だ。本作は当初、林宏司の単独脚本と発表されていた。しかし林は12月に降板を発表。『エール』でのクレジットは原作、原案となっており、各話の脚本はチーフ演出の吉田と清水友佳子、島田うれ葉の三人が担当した。

 一週間ごとのクレジット表記はバラバラで、吉田と他の脚本家のWクレジットの回もあった。おそらく映画でいうと監督に近いポジションに吉田が立ち、ドラマ制作を進めていったのだろうが、メイン脚本家不在の影響は大きく、各キャラクターの物語が有機的につながっていかないもどかしさを最後まで感じた

 朝ドラの面白さは長い物語を複数のキャラクターの物語が同時展開する群像劇にある。脇でちらっと登場したキャラクターが後々、重要な存在になっていく面白さこそ朝ドラの魅力なのだが、『エール』はひとつひとつのエピソードやキャラクターは個性的で面白いのだが、それらの要素が「点」のまま、綺麗に繋がらないため、物語のグルーヴ感を生み出す「線」にならない。この欠点は最後まで埋まらなかった。

 良くも悪くも脚本家の力が強いのが日本のテレビドラマで、その筆頭が朝ドラである。

 だからこそ、演出主導で作られた『エール』は挑戦的な試みだったのだが、全体の構成に責任を持つ脚本家がいないと、ここまでバランスが悪くなってしまうのかと思い知らされた。

 また脚本家降板のほかにも、さまざまなトラブルに見舞われた作品だった。