生存教員に早く、あの日のことを語ってほしい

「震災前、その生存教師は児童たちに信頼されていました。連絡をとりたいと言っている子どもたちもいます。裁判も終わったので、話をしてほしい」(佐藤秀明さん)

佐藤さんは当時のスタッフのひとりだった別所英恵さんとともに、資料を見ながら当時のことを振り返って話した
佐藤さんは当時のスタッフのひとりだった別所英恵さんとともに、資料を見ながら当時のことを振り返って話した
【写真】2・13の地震のときも校舎がどうなっているか見に来たという遺族の只野さん

 生存教諭をめぐっては、震災直後の証言はあるものの、生存した児童たちとは食い違う。裁判でも証言台には立っていない。

「検証委では生存教諭から6時間の聞き取りをしましたが、議事録は出せないと言われています。こうした資料は検証委の事務局だった団体で保管していますが、市で管理してほしい。トップが変わったときに公開されることを期待したい」(今野さん)

 今野さんは震災後、「死にたい」と漏らしていた。大輔君だけでなく、両親と当時高校3年生で長女の麻里さん、当時高校1年生の次女、理加さんを失った。妻のひとみさん(50)はこう話す。

「一緒に死ぬべ、と言われたこともあります。生き地獄だったので、『生きていても…』という思いもあったんです。楽しいことあるんだろうかと思ったりもしました。でも、仕事に没頭したことや、常に夫が近くにいてくれたから、死のうと思わずにすんだのかな」

 同じく原告になった佐藤和隆さん(54)。当時小6の三男、雄樹君を亡くした。裁判に勝訴したことで「私たちの主張も認められて勝訴したよ」と伝えた。

息子さんが好きだった地域を引っ越していない佐藤さん。13日の大きな地震で津波警報は出なかったが、高台に避難した
息子さんが好きだった地域を引っ越していない佐藤さん。13日の大きな地震で津波警報は出なかったが、高台に避難した

「よくも悪くも、裁判をしたことの意味はあったと思います。しかし、本来は教育の現場で裁判までしなければ、真実が明らかにならないのはおかしいです」

 しかし、当日の出来事を知ることができなかった。

「生存者が少ないこともあるでしょうが、知っているのは生存教員だけ。早く、あの日のことを語ってほしい。そうすれば、かなりの状況は見えてきます」

 勝訴はしたものの、課題は山積している。市内の子どもたちにどう伝えていくべきかが残されている。県内の児童生徒や教職員が、学校行事などで校舎跡を訪れたことはない。ただ、'20年11月、県教委主催で、新任校長90人を対象に研修を行った。判決確定を受けたものだ。

「校長の研修があったのは一歩前進です。しかし、震災後からずっと市内の子どもたちに伝える機会がないのです。市教委の姿勢でもあると思います。震災を知らない子どもたちに遺族の話を聞いてもらうことや、判決でも指摘された管理職研修も大切です。いまだに、県教委や市教委には、向き合おうとする姿勢を感じません」

 震災後、佐藤さんは、雄樹君を思って、今野さんと同じように、「死のう」と考えた。

遺族なら誰もが考えたと思います。死のうとしても、やっぱり怖い。その怖い目に子どもたちが遭ったんです。それが現実に起きたんです。市教委は本当に罪深いと思います」