「四角い仁鶴が、まぁ~るくおさめまっせ!」
のフレーズで親しまれていた笑福亭仁鶴さん。8月17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で亡くなった。
お笑い評論家の江戸川大学西条昇教授によると、仁鶴さんは戦後の吉本興業を発展させた立役者だという。
「大阪ローカルの深夜ラジオで売れて、テレビに進出していきました。当時、関西ではタレントや漫才師と一緒にテレビ番組に出て活躍する落語家はいなかったのですが、若手の“タレント落語家”として先頭を切って人気が出たのが仁鶴さんでした」
人気に火がついた仁鶴さんは、全国区のテレビやCMに出演するように。
「'70年代以降は落語に力を入れられて、四角い顔や独特の声を活かした落語で人気を博しながら、NHKの『バラエティー生活笑百科』に出演されていました。吉本にとっても上方落語界にとっても、先頭を走って時代を切り開いた人です」(西条教授)
落語家の道を順調に歩んでいた仁鶴さんだったが……。
共演者が語る仁鶴さんの人柄
「'84年、妻の隆子さんが難病の化膿性脊椎炎を患ってしまいます。仁鶴さんの懸命な支えもあり、7時間に及ぶ手術を経て、なんとか1年で克服しました」(スポーツ紙記者)
さらに、'94年には自宅が火事に見舞われる。
「数億円とも言われていた2階建ての豪邸の屋根が焼け落ちてしまったんです。幸い、仁鶴さんも隆子さんも無事でしたが、落語の資料や100着以上のスーツが焼けてしまいました。しかし、翌年には改築。雑誌でも、自慢の豪邸を披露しています」(同・スポーツ紙記者)
妻の病に自宅の火事と、次々訪れる災難も、まぁ~るくおさめた仁鶴さん。
'10年から『笑百科』に出演する林一弘弁護士は、その人柄についてこう話す。
「緊張しながら控室にご挨拶に伺うと、“どうぞお入り!”と中に招いて、コーヒーを振る舞ってくださいます。いつも収録前に、仁鶴師匠とフランクにお話しさせていただくおかげで、私もリラックスして番組に参加できました」
前出の西条教授も、ラジオ共演の際に驚いたという。
「NHKラジオ『話芸・笑芸・当たり芸』という番組のゲストに仁鶴さんがいらっしゃって、お会いしたことがあります。大御所ぶらずに話しやすい、おだやかな方でした」
腰の低さと包容力で、おなじみのフレーズを体現。
「決して人を悪く言ったり批判をされません。周囲に対して気になることがあっても、直接的な言い方をされず、柔らかい言葉でそれとなく伝えられるんです。“まぁ~るくおさめる”ことを、普段から行動で示していらっしゃいました」(林弁護士)
まぁ~るくおさめたのは、お悩み相談のみならず─。