得意の“話をそらす手法”が弱点に

 差別問題が絡んだフランス語論争は“大敗北”の声が多いが、それ以外に土が付けられたと解釈されたケースも多い。

「2010年の6月に、経済評論家の上念司氏とデフレ・インフレについて討論しましたが、“専門家”である上念氏に浅い知識を持って挑み、論破されたという声多数。フランス語問題とともに上念氏との討論が最もひろゆき氏が“論破された”例としてネットで上げられていますね。相当悔しかったのか根に持っているのか、討論を見ていた“当時の視聴者は知識が無かった、今の人たちなら理解できる”と10年ほど経っているにも関わらず反論しているほどです」(ネットニュース編集者)

 このほかにもメディアアーティストの落合陽一と“サマータイム導入”についてツイッター上で討論。さまざまな意見をぶつけ合いながらも、最後には“酔って絡んでしまった”と敗走。

《サマータイム議論になんで熱くなってるんだろうと自問自答したところ、酒飲んで生放送して、深夜なので、頭が悪くなって絡んでるんだ、、、ということに気づいてしまいました。(フランス時間深夜3:52)ご迷惑をおかけしてすいません。。。》ひろゆき氏ツイッターより)

ひろゆき氏が論破されるパターンの1つに、専門家から間違いを指摘された際に、論点をすり替えて話をそらす手法があると思います。この“話のそらしのうまさ”は、彼が論破を得意としている理由の1つでもありますが、冷静に討論でき、かつ専門知識のある人には、そらした論点を戻され、そして詳しい知識でさらに突っ込まれるケースが多いのではないかと思います」(同・ネットニュース編集者)

勝敗はどうでもいいと考えているのでは

 しかし、SNSを使っての“レスバトル”を筆頭に、基本的にネット上の討論、また討論などにもならない言い争いは、スポーツのような審判はおらず、明確な勝利も敗北はない。それを見たネット民がどちらの論に乗ったか程度のジャッジだ。

ひろゆき氏は、基本的に『2ちゃんねる』なり『ニコニコ動画』なり、“外枠”を作るのが好きな人で、公序良俗の問題が多々あれど、そこでユーザーが好きに遊び、“何か”を作ってくれるようなシステムを作り楽しんできた。

 そのため討論についても極論を言えば、中身つまり勝敗はどうでもいいと考えているのではないでしょうか。彼にとってはおそらく勝ち負けなどどうでもよく、所詮暇つぶしの討論ゲーム程度に捉えている。ひろゆき氏は、おそらく“結果自分が負けても、自分の価値が落ちない”ことを、これまでの経験から理解している。何度死んだって、リセットボタンを押せば、また新しいゲームがプレイできる程度に考えているのだと思います。

 反面、『2ちゃんねる』に関して誹謗中傷などで裁判所から30億円にも上る賠償金の支払い命令を受けながら“10年たつと時効だから(賠償金が)ゼロになる。払うよりも10年間逃げ切った方が得”と無視し続けるなど、いろいろな戦いに“戦わずとも負けない”戦い方、結果的に勝つような戦い方をしてきた人なので、一応勝つ道を選ぼうとしているかもしれませんが、同時に負けてもどうせ何も変わらないという認識、むしろ負けたほうが注目は集まるくらいに思ってるのでは」(前出・ネットニュース編集者)

 ネット上では、一度ファンを付けたインフルエンサーは強い。しかし、このまま彼は“論破王”の看板を掲げ続けることはできるのか……。