そんな時代にウドー音楽事務所で「ツアー・マネージャー」という、当時はまだその名称さえ一般的ではなかった仕事に就いたのが、本の中でもインタビューに応えている、現在はウドー音楽事務所の副会長である高橋辰雄さん(69歳)だ。

 高橋さんは1975年、23歳のときウドーに入社した。右も左も分からない、そもそもまだツアー・マネージャーという仕事の一切合切が誰にも分らない、もちろんマニュアルなんてない中で、その仕事を始めた。

「ツアー・マネージャーという仕事は当時、弊社とキョードー東京(もう一つの大手プロモーター)でしか呼んでいない名称でした。日本の芸能界には付き人という制度がありますよね。付き人がずっと同じタレントに付くなら、こちらは招へいする度に違うタレントに付くわけです。仕事は多岐にわたり、ツアーの日程表を作り、宿泊するホテルから移動手段、食事と、衣食住すべての環境を整えます。

 来日してからはホテルと会場間の送り迎えなどはもちろん、健康管理や、観光や買い物や夜遊びなどに付き合い、すべてのケアをします。楽器会社がスポンサーについていることも多々あるので、そうした会社との窓口になれば、セキュリティから通訳っぽいこともするし、日本社会のマナーを伝えたり、諸々すべてが仕事です

 ツアー・マネージャーという、旅行会社のツアー・コンダクターも真っ青な激務を高橋さんは長年にわたって務めてきた。実は洋楽ファンの間では高橋さんは、“タックさん”というニックネームで有名だ。ミュージシャンたちが「テレビをバスタブに投げ入れる」ようなワイルドな時代から80年代ころまではファンも相当にワイルドで、ファンと高橋さんの間にはさまざまな攻防があったという。

ビートルズの昔の映画みたいな、その縮小版ですね。サインをもらおうと、ファンが駅なんかで突進してくるんです。危ないのはアーティストしか目に入ってないので、お年寄りやお子さんを倒しそうになったりする。そういうファンには怒鳴って注意しました。新幹線に乗るのも普通に行くと難しいから、東京駅と交渉して裏口から入って搬入用のエレベーターに乗り、一番後ろの16号車から乗車して、グリーン車のある8号車まで移動しました。カルチャー・クラブの来日時とか、そんなふうでした(1983年6月)

ボブ・ディランが気にしていたライバル

カルチャークラブ(写真: Koh Hasebe / Shinko Music Archives)
カルチャークラブ(写真: Koh Hasebe / Shinko Music Archives)
【写真】エリック・クラプトンが手作りしたネックレスを見せてくれる高橋さん

 カルチャー・クラブ! 懐かしい! カーマカマカマ♪とキャッチーなメロディに乗って麗しいヴォーカリスト、ボーイ・ジョージが歌った『カーマは気まぐれ』が大ヒットした、イギリスのグループだ。ファンは夢中になって追いかけ、高橋さんは必死になって守った。みんなが夢中になれて、熱かった時代。今、50代、60代の音楽ファンには、当時「タックさんに怒られた」という人が何人もいる。みんな、ワイルドだったのだ。

 そんな高橋さん、アーティストと信頼関係を築いてきた。たとえばノーベル文学賞も受賞したシンガー・ソングライター、大御所中の大御所であるボブ・ディラン。

「彼はプライバシーをとても大事にする人で、食事をするにも専用のシェフを連れてきて、ホテルでも会場でもその人が作ったものを食べていました。外食したのは1度だけですね。確か福岡かな(1994年2月)。夜遅くなって食べる所がなかったので『チキンを食べますか?』と聞いたら『食べる』というので、一緒に焼き鳥屋に行きました。そこで彼が話したことで覚えているのは、『日本ではニール・ヤングは人気があるのか?』ってことです。そういうこと、気にしているんだなぁと思いました」

 ニール・ヤングはディランと同年代のシンガー・ソングライターで、やはりレジェンドのひとり。しかし、ディランほどの人でも、そうやってライバルが気になり、焼き鳥を食べながら聞いちゃうんだなぁと思うと、なんだかホッとする。人間みんな同じだ。

「ボブとのツアーではたいへんなこともありました。仙台公演が終わって、翌日は秋田まで移動の予定でお昼ぐらいにバスで出て、とってもいい天気でした。ところが高速に乗った途端に雪が降ってきて、30分ぐらいで大雪になり、高速が閉鎖され、山道を上がったり下がったり。山道がけっこう狭くてね。対向車がトラックだったりすると運転手さんが緊張しながらすれちがう様子が伺えました。

 後ろの方に座っていたボブが僕の座る前の方に来て、『大丈夫か?どっかホテルないのか?』と言い出して、『いや、こんな山の中だからホテルなんてないですよ』と言うと、おとなしく僕の隣に座りました。仕方ないから日本の歴史の話なんかをしたんですが、みんなで目はしっかり前を見ている。夜の8時すぎにようやく着いて、ちょっとした緊張の時間でしたね。でも始終おだやかに話をしていて、自分の感情を露わにしない、取り乱したりしない人ですね

ノーベル文学賞も受賞したシンガー・ソングライターのボブ・ディラン(写真: Koh Hasebe / Shinko Music Archives)
ノーベル文学賞も受賞したシンガー・ソングライターのボブ・ディラン(写真: Koh Hasebe / Shinko Music Archives)

 とはいえ、高橋さんの隣に座っちゃうって、ディランも怖かったんだろう。その光景を思い浮かべると微笑ましいが、そんなときも気を遣って話をしたりするのもまたツアー・マネージャーという仕事。なかなか大変だ。

「ボブ・ディランはクールでしたが、中には大声で叫び出したりする人もいました。ヴァン・ヘイレンやモトリー・クルーのようなハード・ロック・バンドの連中は割と冗談で叫んだりしますね。フラストレーションを発散しているんです。ツアーという過酷な、通常とは違う生活を送るとストレスもたまるでしょう。なるべくそうならないよう、食事は美味しいものを、移動は短く、寝るところはいいホテルで、と気を遣います