世界と戦うために固めた“決意”

 そんな羽生が欠場することになってしまったが、スポーツジャーナリストの折山淑美さんによると、意外にも宇野は落ち着いているそう。

「今の宇野選手は、“自分がやりたい構成をどれだけ完成に近づけられるか”ということにしか、目を向けていないと思います」

 それには、こんな理由があるという。

完全に気持ちが吹っ切れていますよね。コーチが不在だったり、コロナでなかなか試合ができなかったり、そういう時期を経て、“4回転5本の構成をしたい。そうしないと世界と戦えない”というのがハッキリ自分の中に芽生えて、挑戦している感じがします」(折山さん、以下同)

 自身最高難度の構成への挑戦が、冬季五輪への思いも変化させた。

「『北京五輪』は『平昌五輪』以来2回目のオリンピックになりますが、今は挑戦し始めたばかりなので、その過程のひとつという気持ちもあるはず。“『北京五輪』が集大成”とは思っていないでしょう。『平昌五輪』の当時はそこまで考えておらず、“羽生結弦を追いかけていただけ”という感じがありました。今回は“世界のトップで戦いたい”という決意を固めていると思います」

 宇野が“脱・羽生”の決意に至った裏には、これまでのスケート人生の波があった。

「もともと“世界のトップに立ちたい”という思いを持っていましたが、コーチ不在などの苦労をして、“スケートってトップに立つよりは楽しめればいい、楽しいほうがいい”という思いになり、それでもやっぱり“トップに立ちたい”という思いが甦って……。戦えない時期を経験したから、戦えることの楽しさも実感しているのでしょう」

 では、愛知県で暮らす宇野の祖父で画家の宇野藤雄さんは、そんな孫をどのように見ているのだろうか。

「昌磨のことはずっと見てきましたが、よくやっていると思います。“あの年代であれだけのことがやれるなら僕も頑張ろう”と、周囲に元気を与えることができているのではないでしょうか」