主力スタッフの辞職で移転を即決

「菌を採るのは虫を獲るのと似ているんです。自然のない都会でカブトムシを飼おうと思ったらお店で買うしかないですが、郊外に行ってメロンを置いておけば、カナブンやコクワガタが飛んでくる。さらに田舎に行けば、よりレアなミヤマクワガタやカブトムシが飛んできます」

 勝山では、ついに野生の麹菌の採取に成功。初めての著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』も好評で、韓国では翻訳本がベストセラーに。2014年、フジテレビ『新報道2001』で特集を組まれたときは、店の前に連日行列ができ、開店からわずか2時間ですべてのパンが売り切れたほど。

 しかし、渡邉夫妻の心中は穏やかではなかった。その1週間前、主力だった女性スタッフから、「おふたりのやり方には、もうついていけません」と告げられ、ほかのスタッフもそれに続いたのだ。

「天然酵母は発酵の温度調整が難しい」と境さん 撮影/伊藤和幸
「天然酵母は発酵の温度調整が難しい」と境さん 撮影/伊藤和幸
【写真】モヒカンヘアだった学生時代の格さん

「いま考えると、そのころは原理主義者になっていました。パンの材料は自然栽培でなければならないし、スタッフにも、あれはするな、これをしろとエゴを押しつけていたんです。僕自身に余裕がなく、怒鳴ることもありました」

 麻里子さんも当時を「未熟な組織でした」と振り返る。この反省をもとに、少しずつ勤務体系を改善してきた。

 自家製粉するための機械を導入するも、不具合から小麦が漏れ出し、ネズミが集まってしまったこともある。

「うつっぽくなったときも、バイク事故でケガしたときも、変化することでよりよい方向に進んできました。それと一緒で、根元が腐っていると思ったんです。何かの警告だという思いもあり、1日で勝山の店を閉めようと決めました」

 テレビ放映直後、繁盛している店を閉めてイチから出直すのは容易いことではない。庭を整備し、ウッドデッキを作るなど環境を整えてきた麻里子さんはなおさらだろう。

「いいえ、移転に完全同意でした。パンだけでなくビールも作りたいという格の夢と、子育て環境をなんとかしたいという私の思いは、移転しないと実現できないと直感していたんです。でも周りの人にとっては突発的で意味不明な行動に映ったと思います」

 2015年、元保育園だった可愛らしい建物をまたもやDIYで改装し、鳥取県智頭町での生活がスタート。

 智頭に移ってから格さんは、培ってきた醸造知識をもとにビールを造ろうと、晴れて酒造免許を取得。自身はビール職人に転向し、先の境さんほかスタッフにパン作りを任せるようになった。

 このとき、ビール酵母を使ったパン作りにも挑戦し『タルマーリー式長時間低温発酵法」を開発。1週間分の生地をまとめて作り、時間をかけて発酵させる製法で、生地作りの頻度は減り、パン職人の働きやすさにもつながったのは先述したとおり。

「野生の菌の生命力って本当にすごいんです。純粋培養の酵母は長時間、低温にさらすと死にますが、野生の酵母は冷蔵庫に入れても死なない。ですから、うちの生地を冷蔵庫から出して温度を上げてあげると、ちゃんと発酵してパンになるんです」

全粒粉酵母の田舎パンの生地 撮影/伊藤和幸
全粒粉酵母の田舎パンの生地 撮影/伊藤和幸

 実は麻里子さん、格さんが天然の麹菌を探し続けていたときも、野生の菌だけで作るパンやビールに挑戦し、何度も失敗したときも、「もうやめたら?」と思ったことはないという。

「あ~……なんででしょうね。私たちは単なるパン屋さんになりたかったわけではなく、かといって名を挙げたかったわけでもなくて。パンとビールを作れば作るほど、地域社会と環境がよくなるような社会モデルを世の中に打ち出したかったんです。だから、麹菌探しやパン作りを諦めるという選択肢はなかった。格は気力も体力も半端なかったと思います」

 そうやって生み出した大切なパンが、大雪や大雨で客足を阻まれ売れ残ることがある。ここ2年はコロナ禍もあり人の流れが読みにくかった。そこで「パンが売れ残ったら、うちに送っていいよ!」という応援者を募るレスキュー制度を作ったのも麻里子さんだ。現在、登録者は1000人を越えている。