誕生後、1月26日に引き取りに向かった。どの国においても、“運命”としてあってはならないことがウクライナで起こってしまう少し前のタイミングだ。

「引き取りにはカミさんに行ってもらったのですが、その日の夜に外務省から渡航禁止が出ました。行っちゃ駄目だと。死んじゃう可能性がありますから考えてください……。かといって息子がいますから迎えに行くしかない。ドイツ経由で行ったのですが、そのときはまだ飛行機が飛んでいました。カミさんは日本大使館の人に“こんなときに何しに来たんだ”みたいなことを言われて。まぁそう言いますよね……(苦笑)」

「本当は9日間の予定でしたが、6日間で帰ることになりました。当時はまだ公園で子どもたちが遊んでいたりしていました。戦争なの? って感じで。国境付近で何かやってる、危ないらしいくらいで、その時点では現地のキーウの方々も他人事のようでした」(山口さんの妻)

「それから3週間後くらいですか、侵攻が始まってしまった。だから息子はギリギリでした」(山口さん、以下同)

誕生3日後に産院が爆撃された

 山口さんの妻は、同じくウクライナでの代理母出産を選択した日本人女性と頻繁に連絡を取っていた。その女性の子どもは太郎くんの誕生から2か月ほど後に産まれたが、その産院は誕生の3日後に爆撃されたという。本当にギリギリだったのだ。

 ウクライナからの出国は混み合っており、妻子は予定のルートを変更し、帰国した。

「ドキドキでした。すでに不穏な動きが始まっていましたから、心配で。空港のゲートで息子を抱いたカミさんが見えたときに泣いちゃいました。55歳まで子どもに恵まれなかったから、嬉しかった。本当に……」(山口さん)

 話は戻るが、妻として夫から初めて代理母出産を提案されたとき、どのように思ったのか。

「老後の話をしようと思っていたら、代理母って言われて(笑)。結局、うちの不妊というのは私が原因だったので、それで30年間夫婦生活をしてきて、不妊治療でいっぱい迷惑をかけたので、お詫びというのもあれなんですけど、1回やってみようと思いました。ほかの方は2〜3年かかったりするみたいですが、うちはトントンと1年で産まれて。なかなか代理母が決まらなかったりと時間がかかる方も多いそうなんです。着床しなかったり」(山口さんの妻)