東京の街を自由自在に歩いていた少女時代

 ピアノや清元を習っていた由実は、立教女学院中学校に進学すると音楽に目覚め、当時流行していたグループサウンズ(GS)のバンドが出演していた新宿のジャズ喫茶に通う。その後、池袋、銀座、横浜のライブハウスにも足を延ばすなど、好奇心いっぱいに回遊する中で次第に才能を開花させていく。その中で、のちに『はっぴいえんど』を結成する松本隆や細野晴臣、『YMO』を結成する高橋幸宏らと知り合う。

 同級生に連れられて立川基地に入り、アメリカで発売されたばかりのレコードを入手していたこと。また、当時あまり知られていなかったインド料理のサモサを実家で作っていたというエピソードなどをユーミンに聞いたという。

「アンテナと行動力がずば抜けてますよね。ネットどころか雑誌も少ない時代に、いろんな最新情報を足で稼いで、東京を自分の庭にしていた」

 アンテナの感度が高いのは、ユーミンが住んでいたのが八王子だったことも大きかったのではと、山内さんは話す。

「中央線に乗って新宿まで、毎回小さな旅を繰り返していた。ユーミンは『エトランジェ感があった』とおっしゃっていました。異邦人の気持ちなんですね。だからこそ、自由な心で動き回れる。東京の真ん中ではなく外側に住んでいたからこそ、都会への憧憬を持っていられるし、キラキラしたものとして見られる。都心と距離があったことすら、強みにしている」

 一方、山内さんは富山県生まれで、これまで地方出身の女の子の都会との距離感を作品でよく描いてきた。

「ユーミンは手の届かない大スターだけれど、同時に、自分が書いてきたものの延長線上でもあるなと思いました。私が書くことで、少し違う角度からスポットを当てられる。ユーミンの出自の裕福さに気後れしている方にも、ぜひ読んでもらいたいです」