失笑しかなかった会社員人生で、人に感謝されたのは初めてだった。書家の母のもと3歳から書道を習い、当たり前のように筆に親しんできた。しかし自身の文字が人の心を動かすことを知り、その場で退職を決意。2年半勤めた会社を辞め、インターネットで『毛筆で書く名刺』の販売を始めた。

「あのころはギラギラしてて、“これで世界を変えるんだ!”と思ってました。“1兆円企業を目指す”と話す起業家に対して、“そんな小さい目標でいいんですか?”なんて言ってもいました。生意気も中途半端だとつぶされるけど、僕は“人類の皆さん、僕についてこれますか?”くらいに考えていて、目線が上すぎたから許されたみたい。宇宙人ですよ、宇宙人(笑)」

最初にADHDだと気づいたのは妻

 路上で行った書のパフォーマンスが注目され、新進アーティストとしてメディアで取り上げられた。個展のほかアーティストとのコラボレーションも精力的に展開し、知名度を高めていく。

 2009年放映のNHK大河ドラマ『天地人』で題字を手がけ、書道家としての地位を確立。テレビ出演のオファーも次々舞い込み、その明るく裏表ないキャラクターで人気を集めた。

「“双雲さんは誰に対してもわけ隔てをしないし、いつも楽しそうですね”とよく言われます。確かにそうで、何事に対しても執着がないからエゴもない。そう言うと悟っているように思われるかもしれないけれど、これもADHDの特性のひとつで、執着がないのは継続性がないから。どんどん興味が移り変わるから、常に新鮮ではありますけどね(笑)」

 一方ADHDゆえの失敗談も数知れず。忘れ物、なくし物は日常茶飯事で、ときになくしたことすら忘れてしまう。

情報の断捨離でSNS、本なども読むことをやめている武田双雲。「明鏡止水の境地です(笑)」
情報の断捨離でSNS、本なども読むことをやめている武田双雲。「明鏡止水の境地です(笑)」
【写真】幼少期から現在まで、ADHDの経験を語る書道家・武田双雲

「例えば誰かからプレゼントをもらって、“これすごく欲しかったんです!”と大喜びしておきながら、それを置いて帰ってしまう(笑)。その瞬間は本当にうれしいし、感動しているんです。でも執着がないからすぐ忘れてしまう。そんなことはしょっちゅう」

 統計によると、ADHDの割合は子どもで人口の約6~8%、成人で3~4%とされている。大人になると数字が半減するが、これは本人が社会に適応しようと努力をした成果の表れで、潜在人口はもっと多いという見方もある。

「僕も47歳になってさすがに反省の仕方がわかってきたし、何よりADHDの特性を知ったことで本当の意味で改善できるようになりました。知らず知らず妻や友達を怒らせたこともたくさんもあって、周りも大変だったと思います」

 ADHDの当人はもちろん、家族や周囲の人間が振り回され、人知れず悩みを抱えることも多い。ADHDだと気づかなければなおさらだ。

「最初に僕のADHDに気づいたのは妻でした。まだADHDという言葉を知らないころ、妻がADHDの本を読んでいたのを後から思い出して。きっと何かがおかしいと思ったんでしょう。僕は“何か”なんてレベルではなかったかもしれないけど(笑)」