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ー 難民支援や環境保護、動物愛護など デヴィ夫人の社会活動
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ー 80歳を超えてもなお“自分に限界を作らない”!

 ロシアがウクライナへ侵攻してからもうすぐ1年になる1月23日。タレントのデヴィ・スカルノ夫人(82)の姿は、ウクライナの首都・キーウにあった。日本政府の退避勧告が出ているなか、民間人の虐殺があった近郊のブチャの病院などを訪問し、防寒着やおむつなどの支援物質を届けたのだ。ウクライナ侵攻が始まってから毎日ウクライナのニュースを追っていたと話す。

 零下20℃にもなるような気候にもかかわらず、ロシアのミサイル攻撃によって電源が断たれてしまい、過酷な状況下に置かれているウクライナ国内に残る避難民の力になることは何かと考えていたという。

 そんなとき、駐日ウクライナ大使館に日本国内からたくさんの支援物質が届いている話を聞き、その輸送をデヴィ夫人が代表を務める慈善団体で手伝うことになった。とはいえ、支援物質を詰めたコンテナが船便で運ばれてウクライナに届くのは2月末。

「一刻も早く支援物質を届けたい」という夫人の想いから、本人が直接持って行くことにしたという。そこで、夫人の行動力や今まで行ってきた社会的な活動について注目してみた。

難民支援や環境保護、動物愛護など デヴィ夫人の社会活動

 きらびやかな衣装を華麗に着こなし、宝石を身に着ける姿は一見単なる「優雅なセレブ」に見えるが、じつはさまざまな慈善活動も熱心に行っている。

 夫人の社会活動は、インドネシア大統領夫人時代の1960年代から始まる。日イ友交協会名誉会長に就任し、日本からの戦争賠償金の一部を基にインドネシアの学生を留学生として日本に送り、東京にインドネシア学生会館を設立。1980年代には、インドネシアで環境問題への強い意識と関心を持って、環境保護の協力促進に尽力した。

1966年1月に佐藤栄作首相と首相官邸にて。インドネシアの近代的な病院建設のため、スカルノ大統領夫人として日本を訪問。佐藤首相を説得し、資金援助を取り付けた(2020年傘寿記念「デヴィ・スカルノ展」より)
1966年1月に佐藤栄作首相と首相官邸にて。インドネシアの近代的な病院建設のため、スカルノ大統領夫人として日本を訪問。佐藤首相を説得し、資金援助を取り付けた(2020年傘寿記念「デヴィ・スカルノ展」より)

 さらにニューヨークへ移住してからは、UNEP(国連環境計画)のため、ボランティアとして熱帯雨林や生態の保護、先住民の権利と生活促進、人間社会環境の向上のために励んだ。さらに、1990年 世界各国の音楽家を支援する「イブラ国際音楽財団」を設立。2005年には、【世界中の人々が人種、国境、言語、宗教、歴史を超えて、つよい家族愛で結ばれること】を願ってNPO法人「アース・エイド・ソサエティ」を設立。世界中の難民支援や環境保護、国内外の被災地慰問、動物愛護といった活動を繰り広げている。

 自身が第二次世界大戦での敗戦や、インドネシアで軍事クーデターの経験をしたからこそ、人道問題には積極的にかかわってきた。

「終戦後、私には両親がいましたが、親を亡くした子も多かった。『世の中には自分よりもっと不幸な人がたくさんいるんだ』と思ったのが私の原点。この世の中には不条理、不公平、いろんなことがありすぎる。特に政治や宗教、民族的な理由で迫害され、故郷や家を追われた人々に手を差し伸べることを何より大切に考えています」

 その原動力になっているのは「怒り」だ。

「理不尽だと思うことに私は素直に怒って、考えを述べているだけ。マグマのような怒りを抱えていることが、じつは私を元気にしているんです。精神的にも経済的にも独立した人間だから、誰にも義理立てしたり、忖度することもありません。今の日本人は紛争や難民問題に目を向けようとしない。もっと世界に目を向けて、不幸な人たちに思いやりを持ってほしいのです」

「いつまでも若くありたいなら何事にも興味や好奇心、探求心を持つ。これが若さの秘訣」と語る
「いつまでも若くありたいなら何事にも興味や好奇心、探求心を持つ。これが若さの秘訣」と語る