大人が信用できなくなった子供時代

弟と、小学校に上がったばかりの五代さん(右)。近所の子どもたちにとっても「みんなのお姉ちゃん」だった
弟と、小学校に上がったばかりの五代さん(右)。近所の子どもたちにとっても「みんなのお姉ちゃん」だった
【写真】『水戸黄門』の最終回に出演する五大路子、共演をきっかけに大和田伸也さんと結婚した

 五大路子さんこと岩岡美智子さんが生まれたのは1952年、神奈川県のJR新横浜駅周辺だ。生家は農業を営んでいた。

「近所の子たちからは“みっちゃん”と呼ばれて、慕われていましたね」と語るのは、2人の弟のうち次男の岩岡洋志さん(新横浜ラーメン博物館館長・63)。

「子どもたちは年齢も経済状況も違う、いろんな子どもがいましたが、平等に可愛がっていましたね。“みんなのお姉ちゃん”って感じでした」

 小学校では放送部に入った。給食時間の放送で五大さんが朗読を始めると、思わず聞き入るほどだったという。

 進学した中高一貫の神奈川学園では演劇部に入部した。部活を共にした親友で同期の岡安康子さんによると、高校2年のとき、部長を務める五大さん率いる演劇部は、難関の神奈川県高等学校演劇発表会に出場したという。横浜市内の大会で評価が得られないと出場できないのだ。

「通常シェークスピアをやっていましたが、私たちはサルトルのギリシャ悲劇『トロイアの女たち』をやろうと。そのチャレンジ精神が評価されたのかもしれません。男役の路子さんが凜々しかったのか、女子生徒には彼女のファンがいました」(岡安さん)

 社会の出来事にも敏感だった。当時はベトナム戦争があり、学生運動やデモが各地で行われていた。それに影響されるように、友達とデモに行くと言い出し、母親が付き添うこともあった。

 学校は学生運動の火種が飛んでこないかを警戒していたのだろう。教室で政治ビラを配った生徒の相談に五大さんが乗っていると、先生が突然入ってきた。「無許可で教室を利用してはいけない」と、話を聞かずにその生徒の腕をつかんで教室から出そうとした。五大さんはこう振り返る。

「尊敬する先生だったのでショックでした。それがきっかけで大人が信用できなくなって……。翌日、学校を無断で休んで鎌倉の海に行きました」“お母さんに叱られるだろう”と思って帰宅した。しかし母親は何も問わず、

「おかえりなさい。お風呂わいているわよ」

当時から「唯一、信じられると思った」母親(写真左)への信頼は厚い
当時から「唯一、信じられると思った」母親(写真左)への信頼は厚い

 母だけは信じられると思った。しばらく学校を欠席するが、県立青少年センターの演劇講座が人生を大きく変える。東京藝術大学の野口三千三助教授に出会ったのだ。

「あなたの手のひら、足の裏、身体は世界でたった一つしかない。あなたの中から発露すること、あなたしかできないことを探してごらんなさい。それこそあなたが生きているということなのです」

 野口さんのその言葉には、五大さんに変化をもたらす力があった。