女性アナの入社試験の面接では「学生時代に何をやっていたか?」と例外なく尋ねられる。遊びほうけていたより、アイドル活動に打ち込んでいたほうが、ずっといいだろう。アイドル活動によってカメラ慣れしいるし、トーク能力も身に付いているはずだ。

 まして各局が女性アナの採用においてルックスもかなり重視するのは誰もが知るとおり。1980年代後半からの傾向だ。先駆けはフジテレビだった。1988年、八木亜希子アナ(57)、河野景子さん(58)、故・有賀さつきさん(享年52)を一辺に採用した。

 当時のフジテレビは民放界でトップを独走していたから、欲しい人材が採りやすかった。この動きは他局にも広がった。各局が「ミス慶應」や「ミス上智」らを奪い合うように採用するようになった。

アイドルアナというポジション

 寺田さんの場合、アイドル出身者とは正反対で、入社後にアイドル視されるようになった。「元祖アイドルアナ」と呼ばれることもある。

「アイドルと言わるようになったのはレコードを出したからだと思うんです(1986年『ときめき Lonely Night』)。ジャケットもアイドルのレコードのようでした。『オレたちひょうきん族』(1981年~89年)の2代目ひょうきんアナも務めましたが、こちらは初代で先輩の山村美智さん(66)が既に道を開拓してくださっていましたので、ひょうきんアナに対して、アイドルアナと言われたのかもしれません」(寺田さん)

 レコードの発売元はフジテレビ系のレコード会社・ポニーキャニオンではなかった。

会社とは全く関係のないクラウンレコードから出ました。しかも当時は歌手として他局にまで出演したんです。もちろん、すべて会社を通してのお話でした。当時のアナウンス部長が“なんでもやってみようよ”とおっしゃる積極的な方だったんです。レコードの件も“面白そうじゃないか”と言っておられました。

 あのころはお亡くなりになった逸見政孝さん(享年48)もレコードを出し、アナが話すこと以外のこともやり始めた時代なんです。私はその波に乗っただけでした」(寺田さん)

 女性アナは変わり、画一的ではなくなった。女性アナを離れたあとの転身先もバラエティーに富むようになった。TBSに1983年に入社し、'99年に退社した有村(現姓・松富)かおりさん(64)は作家に転じた。小説や国際問題の記事などを書いている。同局に2009年に入社し、'14年に離れた田中みな実(36)が女優に転身しているのは知られている通りだ。