乱高下が過ぎる圧倒的な“マスコミ映え”人生だ。 週刊誌の私も飛びついたが、絶対テレビ受けするキャラだろう。そう思ったが、赤松先生はすべてのテレビ出演オファーを断っていた。宣伝になるのにもったいない、とすこし思った記憶がある。

 デビューから5年たったある日、赤松利市はしれっとバラエティー番組に出演した。

テレビに出た理由と執筆の仕方

 5月8日放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日)に登場し軽妙なトークを披露。オードリー若林ら百戦錬磨のタレントたちを沸かせていた。どういう心境の変化があったのか、気になって連絡を入れた。

「テレビに出たのは、この1年ほど本を出してないから。本を出してないと作家は忘れられてしまう。危機感を持って今回はプロモーションしたんやで」

 飄々と答えてくれた。だが一昨年には週刊誌2誌で連載をかけもちしていた売れっ子先生。1年以上も本を出さずに何をしていたの?

「番組でも明かしたけど、ずっと“脳内執筆”してた。夢の中にパソコンが出てきて、文章をどんどん書く。目が覚めたらパソコンでそれを文字起こしする。隅田川でボーッと川面を眺めていても、やっぱり文章が浮かんでくる。それが原稿用紙20枚くらい、8千字程度たまったら、ネットカフェに行って吐き出すんや。だから筆が早い、多作だと言われとったな」(赤松先生、以下同)

 この特殊な才能によって、約2年半のうちに15冊もの本を生み出した。それでもなお脳内は文章でいっぱい。いくらでも書ける。しかし、手が止まった。

「このままじゃあかん。この作風ではいずれ限界が来るぞ、と思ったんやね」

 赤松作品は文章が読みやすい。スルスル読める。だが、それが逆に弱点になっていた、と先生。

「このまま続けると、文章力だけで読ませる作家になってしまう、と焦ったんや。読みやすい文章は薄くて軽い。もっとえぐるような言葉を書かなあかん、と」

 ちょうど長編『救い難き人』の、単行本化に向けた改稿のタイミングだった。湯水のように湧き出る文章を抑え込み文章をひねり出した。担当編集に渡しては取り戻し、また改稿した。新しいスタイルを模索して、それまでの生活習慣を変えてみることも試みたという。

「一文一文を吟味しながら書いたわ。接続詞ひとつ、末尾ひとつまで悩みぬいたんやで」

 150枚もの原稿をそぎ落として全6回もの改稿の末に長編は完成。気づけば1年が過ぎていた。以前のように脳内に文章が溢れ出ることは、もうなくなった。

「生みの苦しみを大いに味わった作品で、いままでのどれよりも気に入ってる。自分は変われた。正直、これが書けたのでテレビに出演したというのもあるで(笑)。しばらくは宣伝していくわ~」

 読みやすさをすっぱりと捨て去った赤松利市の新作『救い難き人』は7月刊行予定。今回のテレビ出演で興味を持った勢もマニアックな赤松ファンも、どうぞお楽しみに!