失った言葉を取り戻し、再び「書く」仕事を

 ファスナーの開け閉めに2年、髪をゴムで結べるようになるまでは5年以上かかった。MRIで脳を確認すると当初より広範囲に脳梗塞が広がっているが、医師は「清水さんの脳の画像と回復度合いは乖離(かいり)している」と驚く。

「日常生活がある程度できるようになった'18年ごろ、パソコンを使いたい、キーボードを打ちたいと思いました。

 言語聴覚士の先生が、キーボードの画像をプリントアウトしてくれて、『A、I、U、E、O』から指を動かす練習をして、今では文章が打てるまでになりました」

 初心者パソコン教室にも通い始めたころ、記事執筆の依頼があり、闘病記を綴った連載がスタート。脳梗塞の発症から約10年たち、単語もわからなかった清水さんが、再び文章を書くまで回復した。

最近の手書きの文字。病気を発症する前の状態に近づいてきた。「時々思い出せない単語もありますが、失語症になった当初より脳内の単語数が増え、文章を書けるまでになりました」写真提供/文藝春秋
最近の手書きの文字。病気を発症する前の状態に近づいてきた。「時々思い出せない単語もありますが、失語症になった当初より脳内の単語数が増え、文章を書けるまでになりました」写真提供/文藝春秋
【写真】左脳の1/4が壊死、なにもできなかった清水さんが書いた最近の文字

 現在は、多少の不自由はありながら、料理や洗濯などの家事、買い物、人との会話など何でもできる。

「ベランダで野菜を栽培したり、フラメンコ、体操、テニスなどの運動をしたり、病気になって以来、いろんな趣味に挑戦しています。ミシンを使えるようになり、自分のワンピースや夫の布製財布も作りました。

 病気になる前は車に乗っていましたが運転免許は失効。その代わり地図を見ないで歩くのが楽しくなりました。自分が“いい感じ”と思う方向へ歩き、裏道や景色を楽しんでいます」

 膨大な数の仕事を抱え、寝ないで仕事をしていた30代。そのころにはできなかった暮らしを、今、味わうことができている。脳梗塞の手術をしてからは、見える景色が変わったと話す。

病気の影響もあるかもしれませんが、夜になると空間に模様が見えたり、キラキラとした花火が見えたりすることがあります。ある年の秋、二十歳になる娘と家の近くを歩いていました。

 その日は中秋の名月。お月さまは、真ん中は黄色で、外側はただの青ではなく、つゆ草のようなきれいな青でした。私の目には病気以前よりずっと世界が美しく見えるんです」

 脳梗塞の診断から14年。書く仕事を通して再び「言葉」に向き合い始めた清水さん。

脳梗塞、失語症で言葉は一度失われ、赤ちゃんになりました。何もない状態からリハビリをしてまたスタートしたわけです。

 昔、自分が書いた文章を読むと感心することはありますが、一度言葉を失ったからこそ、今の自分から湧いてくる言葉もあるとも思います。これから私なりにいい言葉をつくり、表現していくことが楽しみです」

清水ちなみさん●1963年、東京都生まれ。会社員として働いたのち、『週刊文春』の連載『おじさん改造講座』をきっかけにコラムニストに。近著に『失くした「言葉」を取り戻すまで』(文藝春秋)。闘病記を綴った連載を『週刊文春WOMAN』で開始。写真提供/文藝春秋
清水ちなみさん●1963年、東京都生まれ。会社員として働いたのち、『週刊文春』の連載『おじさん改造講座』をきっかけにコラムニストに。近著に『失くした「言葉」を取り戻すまで』(文藝春秋)。闘病記を綴った連載を『週刊文春WOMAN』で開始。写真提供/文藝春秋
清水ちなみさん●1963年、東京都生まれ。会社員として働いたのち、『週刊文春』の連載『おじさん改造講座』をきっかけにコラムニストに。近著に『失くした「言葉」を取り戻すまで』(文藝春秋)。闘病記を綴った連載を『週刊文春WOMAN』で開始。
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文/剣持陽子 協力/後藤るつ子