脚本家と会うことはなく

『セクシー田中さん』で主演のベリーダンサー役の木南晴夏はグラドル時代と変わらない姿を披露
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【写真】作者・芦原妃名子さんの死去後、脚本家の相沢友子氏のインスタグラムは非公開に

 今回の『セクシー田中さん』の件では、芦原さんは改変した脚本家と会うことはなく、制作陣ともドラマについて直接話す機会がなかったことから、それについての批判がSNSで上がっているが……。

「あまり“やり方”を決めつけるのも良くなくて。原作者を尊重するのは当然ですが、様々な人が関わっていて、会わせたから良いわけではなく、創作者同士会わせないほうがいい場合もあって。誰か挟んだほうがいいときもあれば、悪いときもある。やり方をパターン化するというのは、結局プロデューサーがやりやすい形になって、どんな作品でもそのやり方で進めるという形になって、柔軟性に欠けて今と変わらない」

 原作者と脚本家というクリエイティブ同士は絶対に会うべきだ、会わせないといった簡単な二元論ではない。会って喧嘩して立ち消えた作品はたくさんある。たとえば例は漫画となるが、不朽の名作『北斗の拳』は原作者と漫画家は顔を合わせることはほぼ無かったことで有名だ。「(原作者と漫画家が会ったら)すぐに喧嘩が始まってしまいますから」と、編集部判断で会うことが無かったことを作画担当の漫画家・原哲夫は後にインタビューで回顧している。また、それが良かったとも。

「人を見てケースバイケースで判断しなきゃいけない問題に対して、人を見ずに判断したら失敗するに決まっています。この原作者はこういう人で、この脚本家はこういう人だから、こういう風に進行して、都度都度立ち止まって今の進め方でいいか吟味して……と」

 なぜそれがなされないのか。

「なされないというかできないというか……。それはとにかく忙しく、流行に遅れないために、制作スピードが求められてしまっているから。ドラマのディレクターとかは午前2時まで撮影して、そこから打ち合わせ、午前5時から撮影みたいなことを未だにやっている。今回の件でも、漫画やドラマについて詳しくない人は、脚本ってこんなギリギリの進行なんだと思った人も多いんじゃないでしょうか」

 漫画家も脚本家もドラマ制作陣も、作品は等しく“子ども”だろう。それを好き勝手に斬り刻まれたら……。作品に関わる者であればこそ、その気持ちがわかるはずでなないのか──。