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ー 「窓口はプロデューサーの方々のみでした」
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ー 漫画が一斉に撤退したらドラマは終わる

芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました。

いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか、動揺しているうちに数日が過ぎ、訃報を受けた時には頭が真っ白になりました。そして今もなお混乱の中にいます。》

 漫画『セクシー田中さん』の原作者・芦原妃名子さんの訃報以降、ネット上で批判に晒されてきた脚本家・相沢友子氏が2月8日に自身のインスタグラムを更新。“最悪の結末”を迎えた騒動について言及した。

 まず追悼の意を述べた相沢氏は、1月26日に芦原さんがブログとX(旧ツイッター)にて告白した、ドラマ版『セクシー田中さん』(日本テレビ系)の第9話、10話の脚本をを担当することになった“内幕”に、「初めて聞くことばかり」と交代に至った“経緯と事実を知らなかった”と釈明。

 一方で、そもそもの発端となった、2023年12月24日に投稿したインスタグラムについては《慎重になるべきだった》と悔やみ、謝罪した相沢氏だった。

 今となっては相沢氏による説明も“死人に口無し”、再反論することもできない芦原さん。《何が事実なのか》は明かされないまま、これからも何事もなかったかのように日テレで漫画原作ドラマが量産されていくのだろうかーー。

「どうも解せない部分があります」と訝しむのは、かつてキー局・プロデューサーとしてドラマ制作に携わった元テレビマン。芦原さんが明かしたドラマ化の“内幕”で、同者が引っかかった箇所とは、

「窓口はプロデューサーの方々のみでした」

《私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることはありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。》

《脚本家さん、監督さんといったドラマ制作スタッフの皆様と、私達を繋ぐ窓口はプロデューサーの方々のみでしたから》

『セクシー田中さん』ドラマ化にあたって、また放送開始から終了までの間で、芦原さんと相沢氏が一度も面会することがなかった。さらには監督や演出担当などの制作スタッフと話をする機会さえ設けられなかったというのだ。