「つなぎのパン粉」の役割で50年間レギュラー出演を続ける

タレント・関根勤(70) 撮影/矢島泰輔
タレント・関根勤(70) 撮影/矢島泰輔
【写真】「爽やかイケメン!」幼少期から大学生のころの関根勤

 1982年スタートの『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)では、番組終了までの29年間、最長レギュラーを務めた。

 芸能生活50年で一度もレギュラー出演番組が途絶えたことがないという関根。その理由を本人はこう分析する。

「僕らの時代はライバルが少なかったんです。デビューしたとき、同年代のコメディアンは皆無でした。お笑いを目指す人は師匠に弟子入りして修業するのが一般的で、修業をしている間にクビになる人も多かったんです。今はお笑い芸人を目指す人が何千人といて、次から次へと面白い新人が登場するので、テレビに出られるようになるまでが大変だと思います。テレビを見ない若者も増えていますしね。僕はテレビとともに生きてきて、'80年代にはお笑いブームもあった。いい時代を生きてきたと思います」

 漫才ブームや『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)とは無縁だったが、小堺の活躍が弱気になった心を吹き飛ばしてくれた。

「ツービートさん、オール阪神・巨人さん、ザ・ぼんちさん、(明石家)さんまさんに(島田)紳助さん。そういうすごい人たちを見ていると素人上がりの僕らは太刀打ちできないと思いました。でも小堺くんが売れたことで、『僕たちはこの方向でいけばいいんだ』と確信できたんです」

 さらに関根は自分のことを「スーパー視聴者」であると評する。

「デビューのきっかけとなったオーディション番組のプロデューサーに『視聴者は見るプロだからなめてはいけない』と言われたことをずっと覚えています。もともとテレビが大好きですし、今でも番組を全録して気になる番組をチェックしているんです。『ちょっとこの人、前に出すぎだな』とか『もっと周りの人に話を振らなくちゃ』といったダメ出しを視聴者としていつもしているんです」

 そんなスーパー視聴者の目線から、関根は自分の役割を「つなぎのパン粉」として、バランスをとることを心がけているという。

「『笑っていいとも!』で僕とタモリさんがフリーでしゃべっているときでも、必ず横にいるタレントさんに話を振っていました。視聴者からすると黙ったままの人がいるのは不可解ですし、しゃべってくれると非常にバランスがよくなる。味と同じです。バランスがよければまた食べたくなります。『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)では、クイズに誰も答えていなかったら自分がボタンを押して間を埋めたり、面白い答えが浮かんでも、他の人が押しそうだったらちょっと様子を見たりしていました」

 番組のバランスがよくて心地よかったら、視聴者は「また次も見よう」と思う、というのが関根の持論だ。

「若い人は爪痕を残そうとして、自分が前に出がちですが、それがうるさくて、嫌われてしまうこともあります。僕のカマキリ挙法もそういったところがありましたが、30代からは番組を俯瞰で見られるようになり、視聴者に心地いい自分の役割をわかっていたので、プロデューサーやディレクターから『関根くんがいると助かるよ』と言われたことも多かったです」