目次
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ー デビュー当時はアイドル歌手だった島崎和歌子 ー 歌手からバラドルの道へ、紳助さんから司会に大抜擢
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ー 番組のすごさも影響力もわからなかった ー 30年以上続けてきた司会の座は「譲らない」
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ー お酒が強いことで有名だが「気遣いの人」としても知られる
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ー あと20年は芸能界でやっていける ー 孤独死を恐れ、目指すのは還暦婚?
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ー 孤独死への不安
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ー 仲間に入れてくれた上島竜兵への恩返し

 16歳で歌手デビューしてから芸能生活は35年。マツコ・デラックスが「アンタ、無駄に美人なのよ!」と喝破した言葉がそのものズバリの気取らないキャラクターで、長年バラエティー番組にひっぱりだこの島崎和歌子。『オールスター感謝祭』(TBS系)の総合司会や女優としても活躍しており、2023年はNHKの朝ドラ『らんまん』にも出演した。

デビュー当時はアイドル歌手だった島崎和歌子

デビュー曲のタイトルは『弱っちゃうんだ』
デビュー曲のタイトルは『弱っちゃうんだ』

 芸達者な顔を持つ島崎だが、デビュー当時はアイドル歌手だった。4月17日には、アイドル時代の楽曲を集めたアルバム『島崎和歌子 ゴールデン☆ベスト』(ユニバーサルミュージック)が発売、あらためて歌手として注目を浴びる可能性も!?

「35周年という節目の年で、レコード会社さんからベストアルバムのお話をいただいて。ヒット曲なんてないので驚きました。でも若者の間で今、昭和歌謡とかシティポップが人気ですよね。私の歌もあいみょんちゃんとかがカバーしてくれたらヒットするかもと期待しています」と島崎は笑う。

 歌手デビューしたのは1989年で16歳のとき。「花の82年組」に代表されるアイドル全盛期が終焉し、テレビの歌番組も少なくなっていった時代だ。デビュー曲のタイトルは『弱っちゃうんだ』。プロモーションでは、他のアイドルとの差別化を意識して、ショートカットで黄色いパンツスーツの衣装が用意された。

「この衣装がイヤでイヤで(笑)。他のアイドルはみんなフリルのついたかわいい服を着ているのになんで私はこれなの?って。楽曲もアイドルっぽいアップテンポの曲ではないんです。ショッピングモールにプロモーションに行くと、新人演歌歌手だと思われていたみたいで、お客さんは高齢者ばかりだったこともありました(笑)」

 5年ほど歌手活動を続けたが、ヒット曲には恵まれず、女優としてドラマに出演したり、バラドルの道へ進むことになる。

「でも私は歌手を一度も卒業してないからね」

 歌番組のオファーがあれば、いつでも喜んで歌うつもりだ。

歌手からバラドルの道へ、紳助さんから司会に大抜擢

'90年代中盤からはバラエティー出演が増え、ひっぱりだこの存在に
'90年代中盤からはバラエティー出演が増え、ひっぱりだこの存在に

 島崎は高知県で生まれ育ち、中学生のときにアイドルに憧れて「ロッテ CMアイドルはキミだ!」オーディションに応募した。結果は準優勝。グランプリは逃したものの、現在も所属する事務所の当時の社長にスカウトされ、高校入学のタイミングで上京することに。父親は芸能界入りに猛反対だったが、「アイドルになる!」という島崎の決心は固かった。寮に入り、定時制高校に通いながら、歌や芝居、振り付けのレッスンを受ける日々が始まった。

「東京は初めて行く場所で、10代なんて怖いものなしだから、夢しかなかったですね。毎日ワクワクしっぱなしでした。レッスンは厳しく、学校へ通いながらキャンペーンで全国を回るのでクタクタでしたけど、無我夢中で、やめようと思ったことは一度もなかったです」

 一方、音楽業界ではバンドブームが到来し、アイドルにとっては厳しい時代が続いていく。

 テレビではバラエティー番組が増え、“バラドル”と呼ばれる女性タレントが登場し始めた。元祖バラドルは、森口博子、山瀬まみ、井森美幸、松本明子といった面々だ。島崎も次第にバラエティー番組で存在感を増すようになっていった。とはいえ、誰もが簡単にバラドルになれるわけではない。場を盛り上げる面白いトークやリアクションといった、芸人並みの才能が必要とされる。そこに不安はなかったのだろうか。

「すでに先輩方がバラドルの道を切り開いてくれていたから、私もその世界にすんなり入っていって、やっていくことができたんです。当時は私が10代の感覚のまま発言するだけでウケて、とがった発言をしていたわけでもないんですよ」と島崎は当時を振り返る。

 同期のアイドルたちが女優を志望する中、島崎は番組を選ばず、どんな番組に対しても求められる役割を理解し、まじめにコツコツとチャレンジしてきた。そんな姿に目を留めた人物が、引退した島田紳助さんだった。

 島崎は紳助さんが若者を応援する深夜番組『青春!島田学校』(TBS系)に出演していた。

 ちょうどそのころ、TBSは新しいクイズ番組を作るため、司会の紳助さんのアシスタントを務めるタレントを探していた。番組プロデューサーが紳助さんに相談したところ、「和歌子はなんか面白いし、和歌子でいこう」と意見が一致し、決まったという。カメラが回っていないところでも態度が変わらず、一生懸命、番組に取り組む島崎の姿を番組プロデューサーも紳助さんも見ていたことも大きかった。

 当時まだ知名度が低かった島崎の大抜擢には、本人はもちろん所属事務所もビックリしていたという。