12月25日は、大正天皇が崩御された日
1年に1度公表されるご感想だが、今年は昨年と比べると大きな変化が見られた。
「“愛子”という単語の登場回数が昨年は5回だったのに対し、今年は8回に増えていました。より注目に値するのは“愛子”という単語が出てくる箇所でしょう。昨年はご家族について振り返る際に愛子さまの話題を挙げられていました。今年は戦後80年の慰霊の旅や、世界陸上のご視察に愛子さまが同行された際のお話や、ラオスでのご活躍を振り返るなど、愛子さまに関するエピソードが全体にちりばめられていたのです」(皇室担当記者、以下同)
ご感想の随所から愛子さまが常に雅子さまを思い、支えられていることがわかる。母に寄り添い続ける姿勢を貫かれる背景には幼少期の思い出があるのだろう。
「雅子さまは“普通の子が経験することを愛子にもさせてあげたい”という考えをお持ちで、2006年3月にはご一家でディズニーリゾートに足を運ばれました。当時の雅子さまは適応障害を公表したばかりで、体調には波がおありでした。それでも愛子さまを、自分が経験してきたようにのびのびと育てたいと思われたのでしょう。困難の中でも常に愛娘のことを第一に考え行動された雅子さまの思いを愛子さまも感じ取られたのだと思います。大人となられた今、次は自分が雅子さまを支えたいとお考えなのでは」
こうした親子の強いつながりは、クリスマスの過ごし方からもうかがえる。
「2007年12月21日には、両陛下と愛子さまはイルミネーションを観賞するため、お忍びで恵比寿ガーデンプレイスに足を運ばれました。その数日前にも雅子さまは青山でクリスマスの飾りやキャンドルなどを購入され、愛子さまと一緒にご自宅でクリスマスの飾りつけをされたそうです。翌年のイルミネーション観賞は愛子さまが体調を崩され、中止になりましたが、コロナ禍前までは、ご一家で表参道のイルミネーションを見ることが恒例行事となったのです」
雅子さまは、幼少期の愛子さまがクリスマスを楽しめるよう、ささやかなイベントを用意されてきた。
「2010年、雅子さまはクリスマスのリースを作るため、愛子さまと赤い南天の実を集められたそうです。そして同年のクリスマスイブ、雅子さまは東宮御所に愛子さまのご友人を20人ほど招待して“クリスマスパーティー”を開催されたのです。雅子さまは、愛子さまがクリスマスを楽しく過ごせるよう趣向を凝らされてきました」
愛子さまが雅子さまとクリスマスの思い出を紡がれた一方、実は皇室の方々にとってクリスマスは公に祝わないのが不文律だという。
「12月25日は、大正天皇が崩御された日であり、宮中は世間のクリスマスムードとは異なる雰囲気が漂います。天皇陛下は皇霊殿で『大正天皇例祭の儀』に臨まれ、皇后陛下は御所内で『大正天皇例祭の儀に当たりご遙拝・お慎み』を行われます。クリスマス当日のお祝いが難しい中で雅子さまは日付を少しずらすなどの工夫をしながら、愛子さまと一緒にクリスマスの思い出づくりをされてきたのです」
誕生日のご感想は“今後とも愛子を見守っていただけましたら”と綴られていた。これからも2人の静かな支え合いは続くのだろう。
つげのり子 西武文理大学非常勤講師。愛子さまご誕生以来、皇室番組に携わり、現在テレビ東京・BSテレ東で放送中の『皇室の窓』で構成を担当。著書に『素顔の美智子さま』など
※週刊女性2025年12月30日号12ページにおきまして、下記
誤:“感激いたします”
正:“感謝いたします”
コメントをいただきました、つげのり子様、および関係者の方々、











