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仮設住宅を訪ねて回る寝占さん

 震災直後から被災地入りしてシングルマザー家庭への支援活動を開始。現在は陸前高田、大船渡(ともに岩手県)、気仙沼(宮城県)を拠点に、仮設住宅などで暮らすひとり親家庭200世帯へ食糧支援などのサポートを行っているNPO法人『マザーリンク・ジャパン』代表の寝占理絵さん。

「いつもありがとう。本当に助かる!」

 寝占さんが食糧支援物資のひとつ、地元支援者からの寄付という味噌を手渡すと、池田真梨子さん(38=仮名)の顔がほころんだ。

 池田さんは小学6年の長女を筆頭に、小学4年の次女、小学1年の長男の、3人の子どもを抱えるシングルマザーだ。

 震災前、池田さんと夫はともに仕事を持ち、夫の両親と子どもたちの7人家族で暮らしていた。そこへあの大地震と大津波が襲いかかる。建て替えたばかりの家は土台だけを残して流された。以来、住宅ローンとみなし仮設住宅の家賃を二重に背負う生活に陥った。

「そのころからでした。夫が、人が変わったようになってしまった。子どもたちに手を上げるようになったんです」(池田さん)

 失業をきっかけに夫のDVは悪化。ついには池田さんにも暴力をふるい始めた。子どもたちに説得された池田さんは家を出ようと決意。'13年の12月、行政から紹介された仮設住宅へ逃げるように移り住んだ。が、とたんにお金の苦労が押し寄せてきた。

 給料は手取りでおよそ11万円。当時はまだ離婚が成立していなかったので、ひとり親家庭の子どもが対象の『児童扶養手当』はもらえない。公的支援は『子ども手当』(当時)のみ。世界じゅうから寄せられた義援金も、世帯主でなかった池田さんには1円も入らなかった。

 さらに池田さんを不安にさせたのが、長男のPTSD(心的外傷後ストレス障害)発症だ。

「夜の8時を過ぎると悲鳴を上げるようになったんです。あわてて駆け寄ると、“えっ!? 何があったの?”という顔をする。今までは父親のDVが怖くて緊張していたのが、2年前の3月に離婚が成立して、“パパがここに来ることはない”とわかった矢先でした。震災とDVと、2つの心の傷をつくってしまった」(池田さん)

 長男は仮設住宅にいたとき、建材に使用されていた化学物質により喘息も発症していた。医師に診てもらうと、“お母さん、喘息も悲鳴も、完全に震災ショックですよ”と言われた。

 現在、長男のPTSDは治まっているが、先を思えば不安は尽きない。最大の心配事は、やっぱりお金。

 池田さんの収入は現在、給料の11万円と児童扶養手当、子どもがいる全世帯に支給される『児童手当』と、わずかな養育費のみ。

 一方、支出は増えるばかりだ。長男の喘息を抑えるために仮設住宅から復興公営住宅へ移り住み、家賃に駐車場代として、新たに1万円がかかるように。

 また水道・光熱費などに計5万円かかるが、寒冷地とあって削りたくても削れない。さらには子どもたちの部活の費用、その送迎などでガソリン代も発生する。お金がないため学童保育には小1の長男しか預けられない。

 それでも母子4人、どうにか食べてはいける。ただ車検などで急な出費が発生すれば、途端に生活はギリギリになる。そんな綱渡りの暮らしだ。

「子どもたちは育ち盛り。晩ごはんだけで1日3合は食べます。光熱費を浮かせるためにジャンパーの重ね着をして、エアコンの光熱費を削っています」(池田さん)

 そんなシングルマザー家庭の現状に声もなく聞き入っていると、寝占さんがつぶやいた。

「池田さんの生活って、まだいいほうなんですよ。シングルマザーで月10万円以上稼いでいる人ってなかなかいなくて、ほとんどが7万~8万円。通勤手当さえもらえないで働いているお母さんがたくさんいます」

取材・文/千羽ひとみ