ミッチー・サッチー騒動を語る

野村沙知代
野村沙知代
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 でも浅香といえば、思い出すのは何といっても“ミッチー・サッチー騒動”だろう。'99年3月に勃発した2人のバトル。導火線となったのは、TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』だった。その日で番組を降板することになっていたレギュラーの彼女は、

大沢さんに“最後だから言いたいことを言っちゃいなよ。嫌なやつがいたらそいつの名前でもいいよ”と促されたので、野村沙知代の名前を挙げたんですよ

 まさか、そんな大騒動になるとは思いもせず、自宅に戻ってみると、

「家の玄関に入りきれないほどの靴があって、道路まであふれているんですよ。全部報道の人のです。驚いたね。それからはどこに行っても記者がついてきてね。湯河原に行ったときかな。今日は誰もついてきてないなとホッとして旅館に入ったら、すでに中で記者が待ってたんだよ。ビックリしたねぇ」(浅香)

 騒動は日増しに拡大していき、ほかにも多くの芸能人を巻き込んで2年以上も続いた。

あんな人は後にも先にもいないね。だから印象深いよ。“憎いやつだけど、彼女のおかげで浅香光代の名前が全国区になったんだから、今なら選挙に出たら当選するよ”なんて周りにも言われてね。いやいや冗談言っちゃいけねえよ。いい話みたいになってるけど、あいつには2度と会いたくないんだからね」(浅香)

 しかし、毎日ワイドショーで流れるミッチー・サッチーのバトルを楽しんでいた人は少なくない。それは芸能人も例に漏れず。

「森繁久彌さんから“最近テレビにあまり出ていないな。あれはやめちゃいけない。面白くてしょうがないよ。毎朝、あの騒動で目が覚めるんだから”という電話があり、なんと返事したらいいか困りましたよ……」(世志)

 サッチーの話になり、ミッチー節がますます波に乗ってきたのだが、それにしても声の張りと滑舌のよさはとても89歳の女性とは思えない。元気の秘訣を尋ねると、思いもよらぬ答えが返ってきた。

貧しく育ったからだね。私は9歳で内弟子になって、そのころご飯も満足に食べられなかった。ネズミの次だなんて言われて。そういう苦労に対しての反逆が、今の私を支えているのかもしれないねぇ

 健康にいいことは特に何もしていなくて、美食もせず、ちくわぶやはんぺんが好物だという。だから太らないとも。来年は90歳。今いちばんやりたいことはというと、

「やっぱりお芝居だね。『一本刀土俵入り』でもやろうかと思っているよ。この年になっても、芝居のセリフは全部覚えているからね」

 “生涯女優宣言”を聞く限り、まだまだこれからも私たちを驚かせてくれそうだ!