「結婚当初はまだ師匠が落語でお金を稼ぐことができなくて、冨士子夫人が化粧品の営業をして家計を支えていたそうです。歌丸さんがたまにもらう高座のギャラで食パンを買ってきて、うれしそうに奥さんに渡していたって話を聞きましたよ」

 そう明かすのは近所の主婦。

2年くらい前から、車イスで表に出て車に乗るようになりました。冨士子夫人は、必ず表通りまで出て見送るんです。奥さんは師匠より背が高くて、とても美人さん。

 仲がよくってね。最近は顔色もよくなかったけど、10年近く前までは地元の盆踊りで師匠が1時間近く太鼓を叩いてくれて盛り上がりましたよ」(自宅近くの別の住人)

地元の横浜橋商店街には大きな横断幕のほか、献花台も設けられた
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 自宅から徒歩で3分、歌丸さんが名誉顧問を務める横浜橋商店街には、行きつけの理髪店『理容ユカワ』がある。

 店主の湯川豊さんに話を聞いてみると、

「師匠は、うちの親父のお客さんだったんです。20日に1回のペースで来てくださり、かれこれ66年くらいになると思います。髪型はずっとあのオールバック。初めから変わってないですよ。髪の毛の量は変わったけどね。必ず1週間くらい前に予約を入れて、予約の10分前には来てくださるんです」

 店に入ってすぐの席が歌丸さんの指定席。先代がカットし、マッサージなどは奥さんがするのは、代替わりしても同じだ。

「親父は'93年に亡くなりましたけど、'92年からは私が師匠のカットを担当しています。髪染めとマッサージは妻の仕事。妻がマッサージをすると“1本抜けたら1000円もらうよ”なんて言って、みんなを笑わせてくれる方でした」(湯川さん)

 落語で稼げるようになると「横浜市に何か恩返しがしたい」と、『理容ユカワ』の先代店主と横浜市の鈴木正之市議会議員と3人で『歌丸会』を発足させ、毎月1回、老人ホームを慰問し落語を聞かせていた。会は3年くらい前まで続いていたという。

体調が悪くなり趣味の渓流釣りもできなくなって、盆栽もできなくなった。それで師匠が奥さまに“落語、やめようかな”って相談したことがあったそうです。そしたら奥さまに“やめたら何もないじゃない。落語しかないでしょ”って言われたっておっしゃっていましたね。

 本当に仲よしで、うちから帰るときも必ず“今から帰るよ”って電話されるんですよ」(湯川さん)

 妻を愛し地元の暮らしも愛した。庶民寸法の暮らしから生まれた芸は、落語ファンの耳に残り響き続ける。