「明治以前は、女性が子どもに対して担っていたのは、産むこととおっぱいをあげることくらいでした。上流階級だったら乳母がいますから、まさに産むだけです。

 庶民なら、大人は男女関係なく働いていますから、子守りは老人や子どもたちがしていたものです。実は、日本の子守歌というのは悲しい歌詞のものも多いんです。子どもたちが子守りのつらさを吐き出したものであるとされています」

伝統でもない、科学的根拠もない

 明治後期以降、庶民にも教育が普及するようになる。大正期に入って現在まで続く「お母さんとはこうあるべき」という思想が作られたと、堀越さんは分析する。

「女学校に行く女性も出てきましたが、とはいえ、まだ男性と同等の職業にはほとんど就くことができない世の中です。そんな折に、“自分の人生をかけて、子どもを立派に育て上げる”ことこそが、女性にとってもっとも素晴らしい天職だという新しい価値観がもてはやされるようになったのです。

 そこだけに目を向けると抑圧の始まりのように見えますが、当時の女性にとっては、この大義名分によって人生に希望が与えられたともいえました」

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 なんと、母親の自己犠牲の精神は、本能=「母性」でも伝統でも科学的根拠でもなく、大正時代に創作されたものだったようなのだ。

「現代においても、自己犠牲をいとわない、献身的な振る舞いは、多くの人の感動につながります。とりわけ『母の献身』という概念には感動がつきもの、と刷り込まれている人も多い。

 そういう人たちには、いくら“専業主婦の家庭の子どもと共働きの子どもで発達に関して違いはない”“3歳までは母親のもとで育てないと悪影響が出るという3歳児神話に合理的根拠はない”といったデータが出ていると示しても、それらの事実には高揚感がないし感動しないから、受け入れられない。“そうはいってもお母さんというものはね”と」

 今年5月、自民党の萩生田光一幹事長代行が、講演で「赤ちゃんはママがいいに決まっている」と発言したのは、まさにこんな感情からだろう。