ゴーンの俺様ぶり

 怒りの声を上げるのは従業員だけではない。村山工場の跡地を訪ねると、元“日産の街”でも恨み節が……。

「工場閉鎖で大勢の人が泣きました。従業員とその家族だけでなく、部品を作っていた下請け工場、地域の飲食店や商店など日産に関わっていた人がみんな涙した」

 と話すのは、日産通りにある飲食店の70代店主。

 現在、通りで工場稼働当時から営業を続けているのはほんの数店舗だけという。

日産がダメになって街が死んでしまった。急に過疎が進み、今もそれを引きずっています。ゴーン氏は村山工場をためらいなく潰し、閉鎖後も気にかけることはありませんでした。事件は悔しいし、許せない! ちゃんと日本の裁判で裁いて刑務所に入れてほしい。じゃないと納得がいかない!」(前出の店主)

 栃木工場の別の元従業員は、

「就任当時、ゴーン氏が“再建するぞ”と張り切って仕事をしていた姿を見ていただけに非常に残念です。汗水流して働いて会社を守ろうとした思いは、根底では私たちとは一緒ではなかったんだな、と思いました。会社から“働け、働け”で、これまで働いてきた私たちは怒りますよ

 カリスマ経営者の素顔は、“銭ゲバ”だけではない。ゴーン容疑者の俺様ぶりを示すエピソードがある。

「就任してすぐうちの会社にゴーン氏が視察に来ると言い出し、そのとき赤絨毯を用意しろと要求されたんです」

 と明かすのは日産関連会社の男性役員(70代)。ハリウッドスターじゃあるまいし、冗談だろうと思ったら、どうやら本気。社内で慌てて準備したという。

「ゴーン氏は視察当日、本当に赤絨毯の上しか歩きませんでした。しかも、ちょろちょろっとだけ。何様のつもりなんだ、と思いましたね。日本で仕事をしているのに日本語を覚えないし、通訳がいるので会話に困ったことはありませんが、信頼関係は何度会っても築けませんでした」(前出・関連会社役員)

 さて、村山工場の跡地周辺をずいぶん歩いた。工場があったことを偲ばせるのは敷地の一画だった場所にある公園内の“スカイライン発祥の地”という碑文だけ。

 前出・飲食店店主は言う。

「私は日産の車が好きだし、日産の街っていうことが誇りでした。でも、もう元には戻せない」

 ゴーン容疑者の罪は重い。