うまさは捨てよう

フリーマーケットで、自分の作ったグッズを並べて売りました。今でいう『デザフェス』。昔は今のように細分化されていなくて皆、フリマで売っていたんです。自分をアピールする場がまだ少なかったから

 サインペンを使って、はじめは絵だけを描いて並べた。そのうち、絵の余剰スペースを埋めるために、言葉を書き連ねるようになった。自分で考え、思いついた言葉。すると、毎回フリマを訪れる人に「326さんの言葉のファンです」と声をかけてもらうことが増えていった。

『ナカムラミツル作品集』より
『ナカムラミツル作品集』より

 生活費は自分で稼がねばならない。福岡市内の居酒屋でバイトを始めてみたものの、「これって、自分の時間を切り取って渡しているだけなんだな」と気付いたという。

時間は、モノをつくる時間に充てよう。でも、それだけだと死んじゃう。だから、お金をもらえるようにフリマで商品を売り続けたんです

 とはいえ、考えれば考えるほど「絵で食う」ということが分からなかった。出版社に行き、「挿し絵の仕事はありませんか」と直談判。幸運に企画が通ったとしても、せいぜい1カット3000円。1週間頑張っても2万円に届かない程度だ。これではとても食えない。

 しかも、ほとんどの出版社からは「お前、この技術でよくここに来たね」と否定されたという。「へたな人間のくせに、よくここに来たな」と、ボロカスに言われ続ける毎日だった。

 専門学校でも、クラス40人の生徒の中で、ダントツに下手だった。鼻をへし折られ、自分のソロ活動、自己プロデュースに本腰を入れるしかない。

 たとえへたでも、自分が好きなモノを描き、それを「好きだ」と喜んでくれる人のために、絵を描こう。そこを目指そう。そう彼は気付いた。

うまさは捨てよう。その時に決めたんです

 福岡市の大名(だいみょう)地区は、新しい流行の生まれるファッション基地のような街。東京の原宿のような雰囲気があり、アーティストの卵たちがフリーのスペースを借り、素人が個展をする文化が流行り始めていた。

 急遽決まった1週間後の個展で326さんは「来た人を狂わせてやる」とまで思い詰め、壁という壁に自分の作品を飾り、フリースペースのお店は無事オープンし、そして大盛況となった。