障がいをもっていても笑顔を絶やさない息子が成人し、私の人生は、彼の人生とリンクしながら進んでいく、これからも一緒に辛いことも悲しいことも乗り越えていくと思っていたのです。

 しかし、突然のくも膜下出血が彼を襲い、千晃はひとりで旅立ってしまいました。

 悲しみも苦しみもすべてを受け入れ、天使のように笑う息子は、死をも静かに受け入れて、23歳と6か月の人生に幕を下ろしました。

 彼を失うことは自分の身体の一部をなくすほどの喪失感で、ただ日々を過ごしながら、彼との時間を記した本『君に導かれた日々―障害をもつ子と過ごした二十三年間』(けやき出版)を書いていました。そのとき、彼とともに過ごした大切な時間は学ぶことしかないことに気づきました。

 そして、障がいをもつ子どもたちのために、これからの時間を費やしたいと考えるようになりました。そうすることで、いつの日にか「お母さん、よく頑張ったね」と彼に褒めてもらえると思ったのです。

 それからというもの、私は『特定非営利活動法人あかり』で障がい児を含む障がい者の福祉サビースを始め、今では児童発達支援センターや放課後等デイサービスなどをはじめとする施設を数多く運営することとなりました。

 350名を超える職員が、障がいのある子どもや大人、すべての人に関わり、その成長をともに喜んでくれています。そして、その職員から“毎日、小さな奇跡が起きています”という言葉をもらうと、心から感謝の気持ちでいっぱいになるのです。

 そのひとつに「食べること」に悩む子どもが、小さな奇跡を起こしました。

偏食へのアプローチ

 ひとえに障がいと言ってもさまざまな種類があります。

 例えば、いつも同じものしか食べない、野菜を一切口にしないなど、「食べること」に対する発達障がいをもつ子は多くいます。その子たちは、味覚に対する過敏性を持っているのでしょう。初めての食べ物に対する警戒の気持ちが強いのかもしれません

 そのような状態が長く続くと、成長に支障があるだけでなく、食事を楽しむ豊かさまでもそがれてしまいます。「食べ物の受け入れ」は「感覚の受け入れ・人の受け入れ」にも通じます。すべてはつながっているのです。

 大変な偏食のあるN君はいつも同じものだけを食べていました。改善をさせようと思っても本人の抵抗が激しくなかなか改善することができません。

 小学校3年生の夏休み、支援員が体力のありあまるN君と毎日散歩をしながら、散歩道の途中にあるスーパーマーケットに立ち寄り、つまようじで刺した試食品をなめてもらうことを繰り返しました。

 食品を見ること、においを嗅ぐこと、なめることを褒めて褒めて過ごしたのです。

 その夏休みの後から、N君のお弁当は1色から色とりどりのカラフルなものに変わったのです。

 N君はいろいろな食べ物を受け入れるようになってから、決まった支援者だけでなく、誰でも受け入れられるようになり、今では多くの人と関わりながら過ごしています。食の広がりから彼の生活は豊かに変わったといえるでしょう。