一方で銀行マンとしても出世街道を突き進み、浜松支店長、本店財務サービス部長などを歴任。“もっとも頭取に近い男”と評されるまでに。二足のわらじをはき続けたが、'93年に退行した。

1976年のファーストコンサート。公に初めて姿を現したNHKホール
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「50歳になろうとするころです。僕が“辞める”と言い出したら、頭取から3回料亭に呼び出されました。“何で辞めるんだ、これからじゃないか”とね。それでも辞めたのは、銀行員はやり尽くしたから。十分、体験したってことです」

 それから25年、シンガー・ソングライターとして曲作り、そしてコンサート活動を続けてきた。今でも月3回はコンサートで歌い、そのどれもが満席だ。

死んでもおかしくない状況だった

 その一方で、小椋さんは2000年に胃がんを発症し、胃の4分の3を切除している

「以来、ほとんど食べられない。寿司屋さんに行ってもシャリはダメなんだから。食べる楽しみがなくなったのは寂しいことですよ」

 '12年には劇症肝炎で生死を彷徨っている。

「オーチャードホールでのコンサートが決まってたんだけど、その1週間前から肝機能障害で入院していて。病院を抜け出して2日間舞台に立って、終わったとたんに担ぎ込まれましたよ」

 死んでもおかしくない状況だったと、のちに医師からは言われた。

「周りもみんな“もうダメだ”と覚悟を決めたそうです。投薬治療でよくなりましたが、ずっと車椅子生活でしたよ」

 医師から心臓手術の予告もされているが、インタビューの間、小椋さんは絶えずタバコを吸っていた。

第58回『NHK紅白歌合戦』('07年)では、美空ひばりの声と映像に合わせ『愛燦燦』をともに歌った

「1日50本くらいかな。もう50年吸ってますから、やめられない。夢? 今さらないですよ。ある意味では、そういうのは果たしちゃったから。75歳にもなってステージをやれて、お客さんが会場を埋めてくれる。そもそも、歌で生計が立てられている。僕はなんて恵まれた男なんだろうと思いますよ。あとは家族、友人に囲まれているときには幸せを感じますね

 小椋さんは、現在の生活を“余生”と表現する。

「70歳のときに遺書も書いたし、洋服や膨大な蔵書も処分した。死に支度はそのときに全部やっちゃったんです。そうそう今、青山墓地(東京)に申し込みをしています。やっぱり、家族のそばがいいからね。戒名はいらない。それは絶対譲れない。無駄だから。でも、墓石はちょっと変わった形のものがいいかな。歌を刻むか? それは家族が決めればいいことで、僕は何だっていいんですよ

 小さく微笑むと、小椋さんはまた紫煙をくゆらせた。


《PROFILE》
おぐらけい。シンガー・ソングライター、作詞家、作曲家。'71年『しおさいの詩』でデビュー。3作目のアルバム『彷徨』は100万枚を突破。布施明、中村雅俊、美空ひばりなど多数のアーティストへ作品を提供