荒れた思春期、中高時代

 中学に入り、加藤は自立心が芽生えていく。ひばりに口答えすることも多くなった。勉強はそれほど好きではなかったが、担任と気が合い、学校が楽しかった。一方でバレーボール部に入り、弱小チームを大会で優勝させる立役者になったりもした。

 当時の加藤の様子を、玉川学園の2年後輩であり現在の妻である有香さんはこうふり返る。

「私たちは当時、彼のことを“美空加藤”と呼んでいました。運動神経はよかったけど、とがった一匹狼というイメージでした。彼はバレー部、私はバスケ部で、コートが隣同士。ボールがバレー部のほうに行くと、彼は怒るんだけど、私がボールを取りに行ったときは、彼、きちんと手渡してくれた。案外、優しいんだなと思った記憶があります」

 心の中に誰も想像できない孤独を抱えた少年だったのかもしれない。それでも中学時代は担任に甘えられたし、チームスポーツなどで捌け口があったのだろう。

玉川学園中等部の学校行事にもよく訪れていたひばり
【写真】記念館になっている「ひばり邸」

 ところが高校に入ると様子が変わってくる。外部からも生徒が入り、教師も「大人」として接するようになる。

「もともと学校は好きだから朝早くから行っているんだけど、授業に出る気になれずにサボってしまう。先輩たちとつるんでいたものの、折り合いが悪くなって、生意気だと言われて“先輩風吹かすんじゃねえ”と言い返したり」

 そして、ついに校内でケンカをし、相手をケガさせてしまう。胸ぐらをつかんだら手をねじられ、その痛さでキレてしまったのだという。後日、ひとりで相手の家に謝罪に行き、父親に許してはもらったものの、無期停学になった。高校に入学して2か月もたっていなかった。

 そのころ、母ひばりは全国ツアーに出ていたが、最終日の福岡で、脚の痛みと気分の悪さを訴えて緊急入院した。

「どうせ停学だし、だったら福岡へ行こうかな、と。そのときはそれほど重い病気だとは思っていませんでした」

 ところが福岡へ行ってみると、大腿骨骨頭壊死と肝硬変という病名を告げられる。身内は加藤だけだったから医師の説明もひとりで聞いた。

 肝硬変の原因は酒だった。「飲みすぎを止められなかった」ことを今も加藤は悔やんでいる。だが、ひばりの立場になれば数年の間に母親と弟ふたりに死なれてしまったのだ。飲まずにはいられなかったことは容易に察しがつく。