3児の父になっても妻子と離れ青森に残る

 彼は大人になってから、過敏性腸症候群、喘息などの病気を発症した。すべてがストレスによるものだと診断されている。ただ、苦しみながらも、ひきこもり当事者とその親たちに寄り添う活動を続けた。30歳を過ぎたころ、そんな彼の活動に賛同したフリーの女性研究者が青森に訪ねてきた。おっとりしていて考え方が柔軟な彼女と意気投合。青森で一緒に住むようになり、彼女の妊娠が発覚した。

「子どもができたとわかったときはうれしかったけど、実は不安もありました。自分がしっかりしないと暴力の連鎖が起こることも勉強していたから。だけど、子どもをひとりの人間として認め、のびのび育てられれば、私自身を育て直すことにもつながるのかもしれないとも思いました」

 現在、7歳、2歳、1歳の子がいる。妻は仕事の関係で、この1年、子どもたちと一緒に関東に住み、彼は実家で親と暮らしている。離れて暮らすのは寂しいが、まだ青森を離れるわけにはいかないのだ。

「青森にもたくさんのひきこもりの人たちがいます。居場所や親の会を立ち上げてしまったから、ここで私が離れるわけにはいかない。チャイルドライン(子どもの声を聞く電話)の運営にも携わっているので、それも放り出せない。きちんとした組織にして、引き継いでくれる人を見つけないと。青森は恥の意識が強くて、家庭内のことを外に言いたがらないんです。だから声を上げられない。自殺率も高い。そういう土地柄だからこそ、敷居の低い相談場所として、斜め後ろからの支援をもっと機能させたい

 斜め後ろからの支援とは、垂直(支配)でも、水平(当事者)でもない。倒れそうなときはいち早く後ろに行って支えるが、率先して手を引く役割ではない。黒衣として見守りつつ、いざというときはタオルを投げるトレーナー的要素も担う。当事者が本当に望んでいる支援を彼は担おうとしているのだ。

 父とはまだわかりあえない。母は板挟みになっている。母をかわいそうだと思うし、父も彼自身も苦しんでいる状況は続いている。

「それでも一歩でも前に進みたい。そう思いながらやってきた。当事者会や親の会に招かれて講演をするようになり、以前より自分の可能性が広がっていると感じています」

 彼の夢は、いつか温暖な地域に妻子とともに移住し、自給自足の生活を送ること。だがもしかしたら、その土地でも彼は、「生きづらさを感じる人の会」を立ち上げてしまうのではないかとふと思った。

文/亀山早苗(ノンフィクションライター)


かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆