2月11日、野球界に数々の功績を残してきた野村克也さんが84歳、心不全でこの世を去った。『週刊女性』で連載中の橋田壽賀子『どうしてそうなるの!』で野村さんとの思い出を語った回を掲載する。

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 昨年末に、NHKスペシャルの『令和家族 幸せ探す人たち』という番組で、元プロ野球監督の野村克也さんと対談した。実はその昔、私は南海ホークスのファンで野村さんには現役時代から憧れていたのだ。引退後もヤクルトスワローズを日本一に押し上げ、さらに阪神タイガーズの監督に就任されたときも、ずっとファンのひとりとして応援してきた。

 最近の私は、体力的にもう余計な仕事はしたくないと思っていたけれど、今回の対談のお話をいただいたときに、「一度、なまの野村さんを見てみたいな」と好奇心が働いてお引き受けしたのだ。

沙知代さんはいつも怒っていたから──

 現在、83歳だとおっしゃる野村さんは2年前に奥様の沙知代さんを亡くされた悲しみを今もひきずられたままで、驚くほどしおれていらした。

 生前、サッチーさんは一切ご夕飯の支度をなさらなかったそうで、いつも外食だったんだとか。対談場所に指定されたのは野村夫妻が「よくうどんを食べに行った」という、市ヶ谷の小さなお寿司屋さん。彼は、金ピカの指輪に何千万円もするような腕時計をしていらして、「あぁ、この人とは合わないな」と一瞬で帰りたくなった。

 私のほうはサッチーさんがよくお召しになっていた、『レオナール』というブランドの服を着ていった。

 まわりのみんなに「あれを着て行ったら、野村さんがどうおっしゃるかしら?」と言われたので久しぶりに引っ張り出したのだ。   

 ところが、まったく気づいてくださらないばかりか何を聞いても「男はひとりになると、どうしようもないな」しかおっしゃらない。そればかり繰り返されるので間が持たず結局、私ひとりがベラベラしゃべることになってしまった。憧れた人がこんなに覇気がなかったとは……ガッカリ。

 そんななかでも、奥様のお話はちょっとだけしてくださった。「コロンビア大学を出ている」とか、前夫との子どもふたりについて「アメリカにいたとき、あんまりかわいいからもらった」と説明されていたことなど、自分が騙された話なのに、うれしそうに話される。

 監督を引退されてからは沙知代さんの言うとおりに仕事をし、1日に3回も講演をしたお金で今のお家を建てられたそうだ。塀を隔てた隣りには、ご子息の野村克則さんが住まわれているという。

 今は、親とは離れて暮らしたい人たちが多いなかで、「すごく親孝行なご子息さんじゃないですか。お嫁さんもいい方ですし」と言ったら、お嫁さんも裏のほうに来ていらして、笑っておられた。お孫さんも来ていて、あれだけご家族がいたらお幸せだと思うけれど、「朝から晩までひとりぼっちなんだ」と、野村さんはぼやかれた。

思えば、30年前に亡くなった私の夫は、がんを患って1年をかけて亡くなったので、ある種の覚悟を持って死を受け入れたけれど、サッチーさんは、いつものお昼ご飯のあとにたった5分で亡くなってしまったのだから、いまだに割り切れない思いを抱えているのかもしれない。

 対談が終わって帰ろうとしたとき、ふとお寿司屋さんの壁に沙知代さんの色紙が飾られているのを見つけた。達筆な字で綴られていたのは『憤』の一文字だった。そのとき、なぜこの字なのかと聞きそびれてしまったけれど、私は何となく心の中で「あぁ、あの人はいつも怒っていたからね」と納得した。

 あそこにサッチーさんがおいでになるから野村さんはこの店に足を運ばれるのかな。彼の耳には今でも「しっかりしなさい!」という、サッチーさんの声が聞こえるのかな、と思った。

(文・相川由美)

※『週刊女性』'20年 2月11日号より