現在、全国に100万人いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は昨年初めて、40歳以上が対象の調査結果を公表した。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。(ノンフィクションライター・亀山早苗)
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金子亮太さん(仮名=37)のケース

 大学院の途中で登校できなくなり、そこから6年半ひきこもってしまった男性がいる。金子亮太さん(仮名=37)だ。幼いころから、「手のかからないいい子」だった彼が、なぜ力尽きたのだろうか。

 2歳違いの兄と妹にはさまれた次男として、中部地方のある県で生まれ育った。父方の祖父母とともに7人家族だった。最初の子である兄に手がかかったぶん、両親は次男である彼に、むしろ「長男的」な期待をかけていたようだ。

「ただ、人間としての土台をつくる部分で、親子関係に問題があったような気がします。父はあまり子どもたちにタッチしなかったけど、母親がちょっと情緒不安定な人で、衝動的に怒りが爆発することがあった。

 忘れられないのは、夕飯をとっているとき、ぽろっと食べ物をこぼしたら、いきなり僕をキッチンのシンクに連れていって頭からみそ汁をかけられたこと。それと、風邪をひいたとき祖母の部屋で寝転がってテレビを見ていたら、急に気持ちが悪くなって吐いたことがあるんです。母は祖母の掛け布団を汚したことに激怒していた。いま思えば、祖母、つまり姑に気を遣っていたんでしょうけど、子どもにとっては驚きと恐怖以外ありませんでした」

東大以外は行きたくない!

 普通の子が知っているドッジボールのルールやファミコンのことも彼は知らなかった。両親は同世代の子たちが何をして遊んでいるのかを知らなかったのだろう。与えられたのは子ども向けの本全般。中でも彼は図鑑にのめり込んだ。そのへんに生えている草花の名前をほとんど知っていたりした。

「どうやらウチは変わっているようだ。なにか偏っている。自分はおかしいと小学校に入った瞬間、感じました。だから僕自身は、過剰に“普通”に合わせようとしていた。小学校から高校まで、周りの興味や価値観に自分を合わせることに必死だった気がします」

 そのことでいじめられたりはしなかった。おそらく彼がうまく適応していたからだ。ただ、そのぶん、心に負担はかかっていたのではないだろうか。

「進学先を決めるとき、金子家から離れたいと思いました。近場の旧帝大へ行くのが自然だったのでしょうが、東京大学なら両親も文句は言わないだろう、と。いま思えば東大に行く必要もなかったのに、高校2年生くらいから、“東大以外は行きたくない”と思い込んでいました」

 それも『世間の価値観』に合わせようとしすぎた弊害なのかもしれない。しかし東大には合格せず、早稲田大学の理工学部へ。「東大以外は行きたくなかった」から、気持ちがついていけず、5月までキャンパスへ足を運ぶことができなかった。語学の講義を休むとまずいと聞き、ようやく大学へ通うようになる。

「このあたりからひきこもりの片鱗はあったのかもしれません。理工学部は実験が多くて大変でした。でも1年生の単位を2、3年生のときに取ったりして、なんとか卒業にこぎつけた。気分がすぐれないことが多くて、病院に行ったらうつ状態だと診断されたこともあります。いま思えば早稲田はとてもいい環境だったのに、そのころは実感できなかったんですね」

 金子さんは穏やかに、だが論理的に話を進めていく。