「こんな義足、はけねえ!」

 36年前、現在勤務する鉄道弘済会を初めて見学した日のことを、臼井さんは鮮明に覚えている。

「当時、工場には20人ほどの職人が働いていて、半数が手や足のない人でした。もともと鉄道弘済会は、鉄道の仕事中に手や足を失った職員が働くために作られた義肢製作所だったんです。『きみは、手も足もあるのに、この仕事に就きたいの?』って聞かれたことが印象に残っています

 職探しを始めて間もなく、職業訓練校で、義足・義手製作の技術を学べる『義肢科』があると知り、強く引きつけられたという。

「義肢と聞いて、小学校の担任の先生を思い出したんです。若い女の先生で、病気で足を切断して義足になった。先生の不憫さや、触らせてもらった義足の硬さにショックを受けたこと、何もしてあげられないもどかしさなんかもよみがえってきてね。義足の仕事を覚えたいと訓練校への入学を決めたんです」

 道が定まった臼井さんは、入学前に義肢装具士の現場を見学しておこうと、軽い気持ちで鉄道弘済会を訪れた。

 すると、予想外の展開で、就職が決まったというのだ。

「採用内定者に欠員が出たとかで、急きょ、『うちに来ないか』と。驚いたけど、現場で仕事は覚えられるって言うし、見習いの半年が過ぎたら正社員になれるので、結婚もできる。ほんと、どこの馬の骨ともわからない俺を引っ張ってくれて、今でも感謝してます」

 こうして、右も左もわからないまま、義肢の世界に飛び込んだ。配属は、義足製作。

「先輩たちが作った義足の外装を、削って仕上げる。最初の3年は、そればっかり。だけど嫌じゃないってことは向いていたんですね。中学時代も美術部で、ものづくりが好きだったし」

足の型を削りながら、「納品して終わりじゃなく、自分らしく生きる姿を見届けたい」と話す臼井さん 撮影/伊藤和幸
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 朝は誰よりも早く来て、夜遅くまで働いた。自分のパートを期日より早く終わらせると、「手伝います」と先輩の傍らにつくのが日課だった。

「修理の仕方も先輩によって違うので、積極的に聞いて覚えました。対処法をたくさん知っておけば、それだけトラブルに強くなれる。ただ、聞くときは気を遣った。職人気質でプライドを持っている先輩が多かったので、同じ質問を別の人にするときは、場所を選んだり。こういう人間関係の知恵みたいなことは、アルバイト時代の経験が、ずいぶんと生かされました」

 入社4年目からは、いよいよ患者を受け持った。石膏で足型をとり、ソケットを作るところから、トータルで任される立場だ。

 臼井さんは張り切った。

 だが、患者の反応は思いもよらぬものだった。

「『入社何年目?』って、よく聞かれたけど、そもそも患者さんは大事な義足を若造なんかに任せたくない。これが本音なんです。『こんな義足、はけねえ!』って投げつけられたこともありました」

 厳しい言葉に落ち込んだこともある。それでも、臼井さんは逃げなかった。

「どんなに無茶な要求をされても、『できない』とは決して言わない。納得してくれるまで、何度でも作り直しました。そうすると、患者さんのほうが変わってくる。こいつなら任せても大丈夫って思ってくれるんですね」