#おすもうさんのお弁当

――スケールが違いますね。ごはんといえば、ツイッターで「力士のお弁当」ツイートがバズりました。

高崎親方 外出禁止だったので、幕下以下で関取の付け人をする力士が、最初はコンビニのパンやおにぎりを食べていたのを、各自が弁当を持ってくるようになったんです。私は毎日、館内を巡回していたんで、みんなタッパーを持って来ているのに気づいて、「ああ、えらいねえ」なんて言って、それをツイッターに載せたら、反響がよかったんです。奇をてらった企画じゃなくて、そうやってるんだよとそのまま出しただけですが、おすもうさんが手作りのお弁当を食べてる、というのは健康的で理にかなっていますよね。

――高崎親方もひよのやまのキャラ弁を作ってましたね。

高崎親方 もともと料理は嫌いじゃないですが、私がやったのは、親方という立場の人間がこういうのをやったら、若い衆もやりやすいんじゃないかな? と思ったからなんです。それで、みんながお弁当を食べていたスペースに「もし、お弁当をツイッターに投稿してほしい人がいたら連絡ください」と書いて貼っておいたら、けっこう電話かかってきて「載せてください!」と言われたんですよ。

相撲協会のツイッターにアップされた、高崎親方手作りのひよの山弁当
相撲協会のツイッターにアップされた、高崎親方手作りのひよの山弁当
【写真】小学生時代のかわいすぎる炎鵬

――みなさん、がんばりますね~。もうひとつ、緊張の中で楽しい企画といえば、YouTubeでの「親方ちゃんねる」もありました。ジャンパー姿の親方たちが、楽しいトークで取組解説やあれやこれ。「すごく楽しかった」という声が多いですね。

高崎親方 あれは、ずっとやりたかったんですよ。Youtubeは収入も得られるものですし、もっと活用したいと考えながらも、相撲の伝統も重んじなくてはというのもあり、普段はお客さんもいて、なかなか手を出せないでいたんです。でも、今回は警備の親方たちが比較的、手が空いていたので実現できました。

 これには芝田山広報部長に中日に出演してもらって、警備の親方の仕事だよと認めてあげてやりやすくしました。お弁当もそうですが、この世界はどうしても上の目を気にする面があるので、そういうことも大切なんです。

――その結果、音羽山親方(元・天鎧鵬)のMCが天才的に弾けていました。そういうお楽しみもありつつ、この場所では「神事としてのすばらしさが際立った」、「横綱の土俵入りが神秘的だった」「土俵上の音がすごかった」と、大相撲の根本的な魅力がクローズアップされました。

高崎親方 そういう相撲の一面を再認識してもらえたのはよかったです。この場所の思わぬ副産物というか、よかったところです。私もずっと力士をやってきたから、当たり前に思ってきたんですよね。神送りの儀式とか面白いと言われて、改めてそういう神事的なものの大切さに気づかされました。異例な場所でしたが、みなさんがそうして概ね好意的に見ていただけたのは、本当に良かったです。

――しかし、おすもうさんはどんなに疲れただろうか! とも思います。横綱白鵬が優勝インタビューの開口一番「終わった」と言ったのが印象的でした。何より終えられたことにホッとしたんだなと思い、その重圧たるやと震えるような思いがしました。

高崎親方 本当の言葉だと思います。本心ですよね。みんなが思っていたのは、中止にするのは簡単だけど、中止の原因にはなりたくない。14日目とかに出ちゃったら、とか。誰が悪いわけではないけど、第一号にはなりたくないとは全員が思っていました。

 だから、いろいろ考えたら、やらないのが一番ラクです。だけど、全国のテレビの前の人たちに、力士の元気な姿を見せるのが使命だという信念が理事長にあって、それを実現させていくための最善の策を考えて、みんなで乗り越えたんだと思います。

――親方ご自身、15日間を支えたものは何でしたか?

高崎親方 毎日の積み重ねでした。トイレのカレンダーにマジックでバッテンして、「ああ、今日も終わった」と、毎日、思っていました。先は長いな~と思いながら、とにかく今日を頑張りましょうと鼓舞し合いながら頑張りました。でも、これで終わりじゃないんですよ。5月にも続いていくものです。

――プロジェクト・チームができたことで情報がいきわたり、結束が強くなったというのはありますか?

高崎親方 それは絶対にありますね。こうした非常事態の中で結局は人と人のつながり、マンパワーでやっていくしかないんだと気づかされました。幸い、朝乃山が場所後に大関に推挙され、明るい話題も生まれました。

  ☆   ☆   ☆  

 700人以上のおすもうさんが15日間、同じ土俵で戦う大相撲。よくぞ切り抜けた! と、お話をうかがって改めて思う。あと1週間、開催時期が遅かったら、世論を含めていろいろと難しかったかもしれない。タイミング的に間に合ったこと自体、大相撲の持つ強運のようなものもあるのかもしれない。

 江戸時代、1600年代ころから始まった相撲興行は、戦争や疫病、天変地異、さまざまな困難に遭いながらも続いてきた。今は大きく困難な時代ではあるけれど、大相撲はきっと続いていく。国技館でまた、大きな声で声援を送る日はやってくる。その日を楽しみに、さて、Youtubeの「親方ちゃんねる」のアーカイヴでも見ましょうか!

(注・取材は4月2日に行いました)


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。