ジャズピアニストの山下洋輔さんとは、'85年の初共演から多くのステージをともにしている。山下さんが言う。

「ぼくはね、世界最強の演奏家を極める音楽オリンピックというものがあったら、日本代表は圧倒的に林英哲だと思ってます。彼が出たら、誰もが世界最強と認めるでしょう。金メダル間違いなしですよ」

 '92年、英哲さんは山下さんのバンドとともにブラジル、アルゼンチン、パラグアイでのコンサートツアーを行った。

 パラグアイの首都アスンシオンのコンサートでは、英哲さんのソロのパートのとき、山下さんは客席にいた。

「ぼくは客席に降りて聴いてた。そしたら、彼の大太鼓のドーンという音を聴いた隣の女性が大騒ぎしてるんですね。通訳に聞いたら『あの裸の肩に噛みつきたい!』と言ってたんですよ(笑)」

 そのコンサートの聴衆の中に、当時パラグアイに駐在していた一杉伸大さんと妻の香苗さんもいた。偶然なのだが、香苗さんは山下さんの従姉妹だった。香苗さんが言う。

2018年、フランス西部の都市ナントで、英哲さんの追っかけの一杉夫妻と
【写真】アメリカの公演でスタンディング・オベーションを受ける林英哲さん

「英哲さんは後で私たち夫婦と同い年だとわかったのですが、初対面のときは、だいぶ年下だと思いました。でも、演奏を聴いて、もうあまりの素晴らしさに衝撃を受けました」

 夫妻は、それ以来、英哲さんの熱烈な「追っかけ」になったと言う。

ビートルズに憧れドラムを担当

 日本でのコンサートはもちろん、ベルリン、カタール、ナント、パリ、ミュールーズなどに夫婦で出かけて、英哲さんを驚かせているらしい。

「海外でも多くの観客がスタンディング・オベーションをするのはいつものことですが、私たちが日本人だとわかると周りの人が話しかけてきます。身振り手振りで『見たか? 感動した。涙が出てくる。日本人はさぞ誇らしいだろう』と訴えてくるんですよ」と香苗さんは笑う。

 英哲さんは1952年、広島県庄原市の真言宗の寺の子として生まれた。8人兄弟姉妹の末子で、子どものころから美術好きだったが、中学時代は、ビートルズに痺れてバンドを結成し、ドラムを担当。

「僕は小学5年生から父の手伝いで小僧見習いをやって小遣いを貯め、高校のときにドラムセットを買ったんです」

中学時代には、ビートルズの『シー・ラブズ・ユー』に衝撃を受けてバンドを結成。それが後々の太鼓に通じた

 僧侶になる責任はなく、地元の高校を卒業後、美術大学を目指して東京で予備校に通い、やがて細密画を学ぶようになっていた。当時、目指していたのは、一世を風靡していたグラフィックデザイナー横尾忠則さんだった。

 浪人中、たまたま聴いた深夜放送で、夏に佐渡で「夏季学校」というイベントがあり、その講師として、憧れの横尾さんが来ると知った。

「横尾さんに会えるならと思って応募したんです」

 集まったのは40人ほどの学生たち。民宿に宿泊し、地域の芸能を見学したり、講師の話を聞いたりして1週間を過ごすが、肝心の横尾さんは結局、現れなかった。

 最終日にイベントを企画した主宰者から、「夏季学校」の目的について説明があった。

「これから日本の芸能を身につけて、海外公演をする。その興行収入で佐渡に職人大学を創る。これはそういう運動のスタートなんだ」─。