世界的な和太鼓ブームの今、誰よりも際立つ存在、それが林英哲さんだ。美術を志した若者が、いかにして太鼓奏者になったのか。そこには、いま思い出しても苦しくなるほどの体験があった―。

 神奈川県の山中、深い針葉樹の中の林道を車で上っていくと、見晴らしのよい山腹に小さな校舎が現れる。かつては小学校だったというこの建物から、地響きのような音が聞こえる。中に入ってみると、昔は生徒たちが机を並べていたであろう教室に、いくつもの種類の和太鼓が置かれている。

 部屋の中央に鎮座する3m近い高さの大太鼓の前に、両手に持ったバチを打ち続けている人物がいた。黒い袴に素足。袖なしシャツの背に描かれた「EITETSU」の文字と鼓手のイラスト─。

 林英哲さん、その人である。

『麒麟がくる』の太鼓演奏を担当

 ものすごい音の連続に言葉を失う。音の振動で教室のすべての窓ガラスがビリビリと震える。時折、息に混じって声が出る。「オッ」「サーッ」。湧いてくるような唸り声は本人が発しているものだ。太鼓の向こうに別の景色が見えてくるような気がする。

2020年2月25日に行われた『豊山太鼓千響創立10周年記念コンサートSENKYO〜いのちの花〜』のリハーサルにて。その後、コロナの影響で公演中止が相次いだ

 バチを握る両腕の筋肉が動く。背中に汗がにじんでくる。とても68歳とは思えない肉体と動きである。

「ヨーッ!」ドドンッ。

 ピタリと型を決めると、あたりは静寂に包まれる─。ここが英哲さんと弟子たちの修練の場「英哲道場」だ。

 林英哲─。

 世界初の「和太鼓・独奏者」。カーネギーホールで太鼓協奏曲のソリストとしてデビューし、その後も数々の一流オーケストラと共演を続ける国際的評価の高いアーティストだ。現在も、ソロ、アンサンブル、オーケストラと多彩なコンサート活動を国内外で積極的に展開している。

 今年1月からスタートしたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、ハリウッドの作曲家ジョン・グラムのたっての希望で劇中音楽の太鼓演奏を担当、今なお和太鼓のトップランナーとして走り続けている孤高の太鼓奏者である。

 現在、日本の太鼓は世界中に広まっている。

 日本でブームとなった'80、'90年代以降、多くのプロ集団が生まれるようになり、盛んに海外に進出し始めた。その結果、世界各地にプロ・アマ問わず和太鼓グループが誕生、人種を超えた多くの老若男女が参加し、それぞれが地域で人気を博している。

 太鼓がこのように世界中に広がる最初のきっかけをつくったのが林英哲さんである。太鼓が「演奏」とは思われなかったほぼ半世紀前から、太鼓の新たな演奏表現に取り組み、曲や打法、演出などの創作活動を続けてきた。'70年代、最初期に海外に出て高い評価を得た先駆者でもある。