3か月後の、発表会当日。

 巨大な鳥居の竜宮城や、海底を表す壮大な舞台装置もでき、本番で生徒たちは大熱演を見せ、大成功に終わった。

 英哲さんは、最後の演奏前にこんなスピーチをした。

「私には子どもがいませんが、このオハイオには80人以上の子どもがいるような気がします。私は若いころ憧れたビートルズほど有名にはなれなかったけれど、この子たちはもしかしたら将来、ビートルズのようになるかもしれない。最後に、この子たちの将来の幸せを願って演奏をします」

 この英語スピーチと演奏で、先生方やプロジェクト関係者はみんな大泣きになったのだ。

太鼓打ちとしての人生

 舞台では、藤田嗣治などの美術家をテーマにした連作を発表し続け、前例のない創作表現を続ける英哲さんだが、意外なことを口にする。

「僕はうれしい楽しいで太鼓を打ったことが1度もない。いつも苦しくて『命がけ』だったから。今、楽しそうに打つアマチュアや若いプロチームを見かけると、ちょっと違和感を感じます」

英哲さんが作曲した太鼓曲の楽譜。ブームにより、まねされることが増えたが、オリジナルはここにある 撮影/齋藤周造
英哲さんが作曲した太鼓曲の楽譜。ブームにより、まねされることが増えたが、オリジナルはここにある 撮影/齋藤周造
【写真】アメリカの公演でスタンディング・オベーションを受ける林英哲さん

 ただひたすら太鼓と向き合ってきたからか、英哲さんは未婚である。

「何度かしようと思ったこともあるんです。でも『太鼓打ち』という職業は一般には理解してもらいにくい。それに、家庭を持ったり、人を巻き込んでしまうのは、僕の性格では負いきれないと思った。だから、弟子も持つつもりは最初はなかったんですけどね」

 現在、英哲さんを慕う弟子たちは、「英哲風雲の会」を結成している。これは、日本各地で活躍する若手太鼓奏者で構成される英哲さんの音楽に共鳴する太鼓ユニットだ。

 最初期からのメンバー、上田秀一郎さん(43)は、「英哲風雲の会」に加入して24年、オハイオ州のプロジェクトにも参加している。

「僕は'96年に大太鼓合奏曲『七星』のオーディションに参加したのが、風雲の会に入るきっかけでした」

 その後、本格的な弟子入りを許され、神戸から上京。道場にも2年半住み込んだ。

 以来、毎年行われる全国ツアーのレギュラーメンバーとして毎回出演。素顔の英哲さんについて聞くと、

普段からストイックでまじめ。最初は厳しくてよく怒られました。礼儀、挨拶、普段の所作や姿勢にも気を遣われます。でも、今は師匠は意外におしゃべり。博学だしずーっと話される(笑)。師匠はドンキマニアでもあり、ネットショッピングもするし、YouTubeも大好き。誕生日に弟子たちでプレゼントを贈ることになったんですが、悩んだあげく、最新マッサージ器にしました。すごく喜んでもらえました(笑)」

 はせみきたさん(44)は、教師を目指していたが、大学院中退後、「英哲風雲の会」の門を叩いた変わり種だ。

「小さいころから太鼓はやっていました。高校2年のとき、師匠が書かれた本を読んで感動したんです。太鼓をやるのに、ここまで哲学を突き詰める人がいるんだと。出版社に手紙を出したら、しばらくしてから師匠から『1度道場に来ませんか』と手紙をもらって伺ったんです。でも、一応大学を出てからでも、と言われ、進学。太鼓は続けていたのですが、24歳のときに、『やはりプロの演奏家になりたい』と思い立ち、全国ツアーのオーディションを受けたのです」

練習であっても、太鼓に向き合えば瞬時に空気が変わり、気迫がみなぎる 撮影/齋藤周造
練習であっても、太鼓に向き合えば瞬時に空気が変わり、気迫がみなぎる 撮影/齋藤周造

 英哲さんは、19歳から30歳までの11年間のすべてを集団に捧げた。その時代を語るとき、集団名も、主宰者の名前も1度も口に出さなかった。

「僕にとってはトラウマなんです。今の自分は、あの時代があってこそなんですが、裏切られた思いもある。思い出すだけで胸が苦しい……」

 英哲さんは、ポツリとこんなことを言った。

「今、太鼓はブームになってみんなうれしそうに太鼓をやっている。太鼓を打つことが単なる芸能以上に社会的な役割を持ったことはいいことなんですが、僕にとっては複雑でもあります」

 ほぼ半世紀、伝統芸ではない太鼓曲や打法、太鼓台から道具まで工夫創作してきた英哲さんにとって、まるで作者がいないかのように模倣される現状は、複雑に違いない。

「太鼓は大衆のものなんだから共有するのは当然、という空気がある。創作者がいるというのが通じないし、著作権の考えもない。コマーシャルでもよく太鼓が出ますが、打法に著作権や印税があれば、立派な道場が建ったかもしれませんね(笑)」

 孤高の太鼓奏者は、その輝かしい栄光の陰で、人知れず過去のトラウマに苦しみ、またトップランナーゆえのジレンマを抱いていたのだ。

「独奏者としても、後進の風雲メンバーのためにも、先駆者であり続けたいと思っています。これからも新たな挑戦はしていきますよ」

 最後に英哲さんは、そう言ってようやく白い歯を見せたのだった。


取材・文/小泉カツミ(こいずみかつみ)ノンフィクションライター。芸能、アート、社会問題、災害、などのフィールドで取材・執筆に取り組む。芸能人・著名人のインタビューも多数。近著に『崑ちゃん』(文藝春秋/大村崑と共著)などがある。