1987年『サラダ記念日』で一世を風靡して以降、切ない恋心、複雑な大人の恋、子育て、社会批判──年代ごとに機が熟したテーマを「等身大の歌」にしてきた。“優等生”と言われ続けた歌人が、40代のとき未婚で出産を決意。東日本大震災直後、石垣島へ移住し180度転換した子育て方針とは? 女性として、母としての経験から生まれた「新境地」に迫る。

コロナ禍の不安や新たな日常を歌に詠む

《短歌は、1300年受け継がれてきた『五七五七七』の魔法の杖。リズムを得た言葉たちが生き生きと泳ぎだし、不思議な光を放つ。その瞬間が好き》

 1987年、第一歌集『サラダ記念日』を出版して以降、歌人・俵万智(57)は、日々の心の揺れから生まれる歌を紡いできた。

 東日本大震災後に、仙台から石垣島へ移り住み、息子の成長にあわせて宮崎県へ。歌人として、シングルマザーとして一生懸命に生きてきた。

 しかし2020年、新型コロナウイルス感染拡大により、大切な日常が失われる。

コロナ禍で、当たり前の日常が、当たり前ではなくなっていった今までにない非日常の暮らしそれさえも続けば、また日常になってゆく想定外の事態ではありましたが、大事にしている日常を逆のほうから照らされて、また見えてくるものがありました

 7年ぶりとなる第六歌集『未来のサイズ』の冒頭を飾るのは、コロナ禍の不安や新たな日常を詠んだ歌たち。

第二波の予感の中に暮らせどもサーフボードを持たぬ人類

 こだわったのは歌の並べ方。順番を考えるのが何より好きな時間で、声をかけられても気づかないほどに熱中する。

「並べる順番で見え方が変わるんです。今回は、非日常の連続のようなコロナ禍の歌を置いた後に、コロナ前に石垣島や宮崎で経験した丁寧な暮らしの歌を並べたとき、愛おしさがより増したように感じた。その感覚を味わってもらいたいな、と」

 歌集の編集に携わった角川書店・住谷はるさん(37)は万智の魅力をこう話す。

「コロナ禍の歌は亡くなった方もいるので、非難されることもあり歌いにくい。東日本大震災のとき、バッシングされた経験もあるのに“ライブ感”を大切にして、あえて歌集に入れる。そこが万智さんのすごいところです」

 ともすれば悲観的になりがちなコロナ禍の日々。だが、突然訪れた非日常の新鮮さを軽やかに詠んだ歌も多い。

トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ

発芽したアボカド植える午後したかったことの一つと思う

 希望を見いだしづらい今、万智の歌が読者の心を打ち、こんな感想も届いた。

「どんな時も未来を見据えて、希望を絶対に失わない歌人」「等身大の小さな幸せを掴んで読者に届けてくれる」

サラダ記念日で一世を風靡した万智は当時、「否定精神がない」と批判を受けたが、それでも変わらず貫いてきた姿勢がある

物事にいい面と悪い面があったなら、いいところを詠みたい出会った人のいいところと悪いところがあったら、いいところを見たいそして日常を大事に歌うこれはもう性格ですよね私の生きる基本姿勢なんです

 青春時代の淡い恋や、複雑な事情も絡みあう大人の恋愛を詠み、やがて子育てと向き合う母心を詠むように──。その折々に短歌は生まれてきた。等身大の「今」を詠み続けてきた万智の歌、その背景には多くの“出会い”があった。