本当に愛した男を女に取られて

 誰もが麻紀さんを元男性と知りながら、女性としての魅力に惹かれていく。幾多の芸能人や作家、スポーツ選手と浮名も流してきた。麻紀さんが今は亡き俳優・菅原文太さんとの恋を懐かしむ。

文ちゃんがまだあまり売れてなくて新東宝でハンサムタワーズのメンバーだったころから仲よかったの。昔からいい人でしたよ。いつか札幌に仕事で行ったとき、お辰(梅宮辰夫さん)と文ちゃんの飲み会に合流したの。ホステスの女の子が10人くらいいる中、“お~麻紀来たか!”って。2人の間に座らされたのね。女の子たちに妬まれながら、2大スターに挟まれて鼻が高かったわ!

 それから何十年も会うことはなかったが、偶然再会する。

「亡くなるずいぶん前ですけど、ホテルオークラのレストランで会ったの。こちらはお客さんや女の子たちと一緒で天婦羅を食べてて。お久しぶりですと挨拶したら、おう元気かって。帰るときお客さんが会計しようとしたら、菅原文太さんがもう払っていきましたって。何も言わずにね。あー文ちゃんと思ったわ。それからは会っていません。お礼を言おうと思ったけど

 麻紀さんは性転換手術の翌年、31歳のときにパリで知り合った19歳のフランス人青年、ジャンと事実婚をしている。熱烈にプロポーズされ、両親にも紹介された。「麻紀と結婚したい。彼女はもともと男だったけれど、今は手術をして女になっているから」と言うと、父は「わかったよ。麻紀はチャーミングだね。俺が若かったら俺が結婚したよ」と結婚を承諾したという。

31歳で結婚した男性ジャンとは半年で破局
31歳で結婚した男性ジャンとは半年で破局
【写真】まるでバービー人形! 若かりしころのカルーセル麻紀

ありのままの私を受け入れてくれたお義父さんの言葉には感激したわ。フランスは私たちのようなトラベスティ(女装者)という存在にも居心地のいい国なのよ。でもね、日本で始めた結婚生活は半年で終わったの。こっちはフランス語がしゃべれないし、彼は嫉妬深いし、もう大変ですよ。ちょうど観光ビザが切れるタイミングだったから、トランクに全部荷物を詰めて半ば強制的に帰しちゃった。“オウルヴォアー、オウルヴォアー、またねー”と手を振りながら、小さい声で“アデュー、あばよ”と。その日からほかの男と同棲してたわ(笑)

 恋多き女、麻紀さんだが、本当に愛した人はいたのだろうか。

「文ちゃんとかお辰は愛とかじゃなくて、ちょっと興味を持たれただけよ。それはわかっているわ」

 何百人もの男性と付き合ったが、心から愛し合ったのは、2、3人なのだとこぼす。尽くした人が女性のもとへ去り、泣きわめいた過去もある。

いちばん愛した人はね、20代前半のとき、私が長崎で見つけて、東京で一緒に暮らした人よ。銀座で働かせながら、モデルをやらせたりしてね。最後は仮面ライダーまでやっていいところまでいったの

 しかし彼の浮気が発覚し半年で別れてしまったそうだ。

『灰皿とって』(1978)のレコードジャケット。モテモテ時代
『灰皿とって』(1978)のレコードジャケット。モテモテ時代

夜中にいろんな女から電話がかかってくるのよ。それで “徹出してよ”と言うから、“うるせーこの野郎”と。可愛がっていた妹分の銀座のホステスが“なんで元男のくせに、あんないい男と付き合ってるのよ”って身体張ってくるわけですよ。女にも腹立つけど彼にも腹立つからもう別れましょうって

 だが、たとえ裏切られても1度は本気で愛した人。ほとぼりが冷めれば、手を差しのべるのが麻紀さんだ。

別れた後しばらくして、彼がロケ中に事故に遭って。“まこ(麻紀)、バイクでケガしちゃった”と連絡があったの。病院へお見舞いに行って、九州に帰る飛行機代を持たせてあげたわ。

 その後も九州へ公演に行くと、彼は楽屋に会いに来てくれてね、もうやけぼっくいはなかったけど。いい思い出ね