ホームレスに安全な場所なんてない

 裁判員から、ホームレス生活に関する質問もあった。

――橋の下に20年も暮らしていて、怖い思いをしたことは、ほかにもありましたか?

「ありました。以前は、小学生から石を投げつけられたりとか、中学生からもありました。台風では、何度もテントを流されました。放火もありました。10年前、8月ころだったか、そのときも毎日のように(襲撃に)来たんですよね。最後に火をつけられて、テントが丸焦げになりました」

――そういう怖い思いを20年ずっとしてきて、渡邉さんとそこを逃げ出そうとか、ほかへ移ろうとは思いませんでしたか?

「渡邉さんには猫がいましたし、猫の命を守るために(アパートに入居できなかったし)、生活保護も受けられませんでした」

――例えば、山の奥とか、安全な場所に行こうとは思わなかったのですか?

「……安全な場所なんて、ホームレスにありません」

 なぜそこを出なかったのかと、尋ねた裁判員は、単に、本当に疑問で、善意から心配もしたのだろう。でも、私は、このやりとりが、気になった。

渡邉さんとアイさんが暮らしていた河渡橋西詰のテント(筆者撮影)
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 アイさんは事件前、警察に、命の危険を感じるから本気で捜査してほしいと訴えると、「犯人といたちごっこになるから、(渡邉さんとアイさんのほうが)ここから出て行け」と言われた。「なぜ出て行かないのか」という疑問視と、「ここにいるべきではない」という否定感は、根底で繋がっているように思えた。

 路上生活者は「そこに居るほうがおかしい。嫌なら、ほかへ行けばいい」と言われる。ではどこへ行けというのか。行き場を失い、辿りついた今そこが、命の生き場なのだ。選択できると考えるのは、選択肢を持っている人々だ。人はなぜ路上に至り、どのように命をつないでいるか。その理解と関心が、まだまだ社会全体に足りていないのだと痛感した。

 第3回公判では、いよいよAへの被告人質問が行われた。生い立ちや事件の経緯などを、国選弁護人の質問に答えて語った。

 Aは事件当時、会社員1年目。中学高校は野球に打ち込み、野球の成績を評価され、高校卒業後、野球部のある企業に就職した。母と兄と弟、叔母、祖父母と暮らし、ひとり親家庭で「お母さんに中高時代にたくさん支えてもらったので、野球しながら働いて、少しでも支えたいと思っていた」という。

 高校までは野球に明け暮れ、「平日は練習、土日は試合、次の朝には学校で、友だちと遊びにいくこともなかった」という生活をしていた。

 野球仲間のつながりで、元少年Cのアパートに遊びに行くようになり、Bたちとも知り合い、複数人で夜中に車で心霊スポットや野球を見に行ったりしていた。

「それまで遊ぶのを我慢してたから、友だちと遊ぶのが楽しかった。仕事もあるので学生と同じようには遊べないこともあったけど、つきあい悪いなと思われたり、ハブかれたくなくて、なんとか時間を作って参加するようにしていました」

 Aの母親は証言で「私のパート収入だけではやっていけず、借金もありました。Aが小さいときから、“お金がない、お金がない”と、顔を見るたびに言っていたので、それがストレスだったのではないかと……。就職してからは帰ってこなくなり、私がお金のことばかりいうのが嫌で帰ってこないのかなと思いました。反省しています」と語っていた。

 Aは、河渡橋へ計4回行っている。初めて訪れたのは、愛知県・小牧城の心霊スポットを仲間たちと見に行った帰り、公園のベンチで寝ていたホームレス男性を、仲間が木の棒でつついたり、からかうのを見て、Bが「もっとおもしろいところがある」と言い出したのがきっかけだった。

「B君から、河渡橋の下にも人が住んでいると聞いて、(からかうと)怒って出てくるとか、鉄の棒を持って追いかけてくるとか聞いて。最初は怖いなあと思って、(石は投げず)ただ、近くで見ていました」。しかし、「2回、3回と、みんなと行くうちに、一緒に石を投げたり、被害者をからかったり、逃げたりすることが、だんだん楽しくなっていきました」と、襲撃がエスカレートしていったことを明かした。

口から血か泡を出していた

 事件の夜、堤防下の道を逃げるアイさんを追っていたAは、「渡邉さんがポケットから石を投げてきたので、ぼくも投げ返してやろうと思い、堤防に上がって石を拾って投げ返しました。2、3センチくらいの小石でした」。そのまま北進し、寺田橋付近で坂をおりたあと、「石を投げ返そうと、田んぼに入って土を拾いました」

 そのとき手にした「土の塊」が、渡邉さんに致命傷を与えることになる。

「ソフトボール位の大きさで少し湿っていて、少し重かった」。軽くはなかったのだ。

「その土の塊を拾って、田んぼから出ようとしたときに、被害者が僕の方へ向いて、棒を振り上げたので、その棒が飛んでくるんじゃないか、自分に当たるんじゃないかと、思って、持っていた土を被害者の方へ投げました」

 渡邉さんとの距離は「1~3mの間ぐらい」で投げたときの力加減は「(全力の)半分以上の力だった」という。そして、土の塊は「被害者の顔の当たってしまい、土はくだけました……」。

 Aは鼻をすすり、泣き出していた。

「僕はこんなふうになるとは思ってなくて、びっくりして、ヤバいなと思いました。どうしようという気持ちになり、近くにB君がいたので、どうしようと話して……、そのまま、B君と逃げていきました」

 倒れた渡邉さんの様子を聞かれ、「一回、そこから離れていきましたが、何回も後ろを振り向いて、心配だったので、B君に戻ろうといって、二人で戻っていきました。被害者は、口から泡か血を出していて、いびきをかいて寝てるような感じでした」

 そのときなぜ救急車を呼ぶなり、救命しなかったのか。「そのときは、僕がやってしまったことから逃れたいと思っていたので、救急車を呼ぶこともできませんでした……」

 しかしこの話を、Bは「2人で一度、現場に戻ったという記憶はない」と否定した。まず車に乗り込み、C、D、Eらも全員一緒に車で現場に戻って様子を確認したという。5人いて、誰も通報せず救急車も呼ばなかった。無罪放免の者たちも、無実ではないはずだ。