言葉は生き物でナマモノだなぁと常々思う。次々と新語や造語が生まれ、あっという間にみんなが使うようになる。「〇〇レス」(〇〇がない、〇〇にとらわれない)とか、「〇〇ポリス(警察)」(〇〇に詳しい人が初心者やにわかを締めあげる、あるいは〇〇をしない人々を監視する)とか、汎用性が高いうえに文字数が少なくてすむので、つい原稿で使ってみたくなる。ただ、「〇〇ハラスメント」に関しては、解釈に二面性があって難しい。功罪の両面があると思う。(文/コラムニスト・吉田潮)

ドラマでも当たり前に描かれるように

企業などでもセクハラには敏感になりつつあるが…

 まず、功のほう。「セクハラ・パワハラ・モラハラ」の3大ハラスメントは、もう解説も不要なくらい、言葉も定義も定着した。防止策を掲げる企業や自治体も増えたとは思うが、決してなくなってはいないよな。働く人の意識は高くなっているけれど、芸能人や政治家の犯罪以外のスキャンダル報道には、たいていこの3つがついて回っている。

 思うに、たぶんこの3つは「家庭内で起きている」ほうが、闇が深い。泥沼離婚劇は不倫だけでなく、夫婦間のハラスメントが根っこにあることも多い。

 4月期ドラマでも描かれていた。『リコカツ』(TBS系)では、瑛太の父親(酒向芳)がある意味でモラハラ夫と言える。『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジ​テレビ系)では、松たか子が取引先の社長(谷中敦)からプロポーズ&ハラスメントの屈辱を受けていたし。

 さらには、マタハラ(マタニティ)、ジェンハラ(ジェンダー)、エイハラ(エイジ)、アルハラ(アルコール)あたりは言葉も定着してきた感がある。『カラフラブル〜ジェンダーレス男子に愛されています。〜』(読売テレビ・日本テレビ系)では、吉川愛と板垣李光人がジェンダー問題を掘り下げ、新しいパートナーシップの在り方を描いていたっけ。

 ドラマでも問題提起として、あるいは当たり前に描かれるようになってきた。組織や集団、人間関係において、声を上げづらい・反論や抵抗ができない人を救う意義はかなり大きい。言葉の力で同じ思いをしている人同士がつながることもできるし、組織だけでなく、法律や条例、ひいては社会を変えるきっかけにもなるしね。