「決勝戦に先に出た妹が金メダルをとって。僕もすごく燃えたというか……もう絶対やるしかないって」

 試合後のインタビューでそう答えていた柔道男子66kg級の阿部一二三。女子52kg級に出場した妹の阿部詩と“兄妹で同じ日に金メダル獲得”という史上初の快挙を成し遂げた。

一部で“天才兄妹”と言われていますが、彼らは本当に努力家で、意志が強いんです。“やると決めたことはやり抜く”という姿勢は、小学生のころから変わっていません

 そう喜ぶのは、兄妹が通っていた道場『兵庫少年こだま会』で監督を務める高田幸博さん。

「一二三は6歳から柔道を始め、2年後には5歳だった詩も入会。当時は2人とも身体が小さく、特別印象に残る子ではなかった。ただ、ご両親が熱心に道場へ通わせていたので、練習を休むことはありませんでした」(高田さん)

 詩が幼いころから通っていた駄菓子店『淡路屋』の店主・伊藤由紀さんは、当時の様子をこう明かす。

「詩が柔道を始めたころ、お父さんが“一二三より詩のほうがセンスがある”と、周囲に話していたそうで。店に来る子どもたちから“運動会見に来て”と言われるので、毎年応援に行きますが、詩が騎馬戦で男子を負かして優勝していた姿は忘れられません

 小学生のころから特別なオーラを持ち合わせていた詩。

「なんとなく“この子はビッグになる”と思って、店の壁にサインをお願いしました。店を始めて約30年ですが、小学生にサインを頼んだのは彼女だけですよ」(伊藤さん)

 予想は的中。詩は中学3年生で全国優勝を果たし、瞬く間に有名人に。一方、兄の一二三も中学2年生で全国優勝し、詩の半歩先を歩いていた。

整列するだけで泣いていた一二三

 だが、そんな彼にも“泣き虫時代”があったそうで……。

「一二三は自分から“柔道を始めたい”と言ったものの、道場に通い始めてからは泣いてばかり。一緒に練習する小学6年生は、身体が2倍も3倍も大きかったので、圧倒されていたんでしょう。“負けて悔しい”“投げられて痛い”といったレベル以前に、整列するだけで泣いていましたからね」(高田さん、以下同)

 そんな一二三を見かねた両親はとっておきの秘策を練る。

「2歳年上の長男・勇一郎にも柔道を始めさせました。一二三は兄の存在が心強かったようで、別人のように泣かなくなった。長男の協力があって、一二三は変わったんです」

 小学校卒業を機に柔道から離れた勇一郎さんだが、その後はサポートに徹する。

弟や妹の出稽古が県外で行われる際も、イヤな顔をせず両親の代わりに同行してくれたそう。2人の中高時代には、たわいない会話で癒しを与えていました。今でも“よき相談役”として、一二三選手と詩選手に安心感を与えている存在といわれています」(スポーツ紙記者)

 2つの金メダルの輝きには“陰の立役者”がいたのだ。