炎上のきっかけ

 このころ、ネット上での中傷は続いていた。「娘は匿名掲示板を自分でも読んでいたようです。つらかったと思います」

 前出の女性の知人も《死ぬ死ぬ詐欺をする元コンカフェキャスト》などとツイートした。それを見て、月乃さんは「なんでそんなこと言うの?生きていられない」と母親に電話で話していた。

「9月29日(自殺の前日)に娘はまたいなくなりました。電話やSMSはしていましたが、どこにいるかわかりませんでした。娘のファンの子と一緒に、飛び降りたホテルの部屋に泊まっていたようですが……」

 亡くなった30日朝、月乃さんは母親に《生きているよ》とSMSを送った。14時13分、《ママごめんなさい》との遺書めいたSMSを送信した。母親は警察に通報し、駆けつけた警察官は月乃さんの部屋に置かれた遺書を発見。その日の夕方、警察から「女の子2人が飛び降りた」との連絡があった。

アイドルとしての娘

「屋上に座っている2人を近くから見ていた人がいたそうで、すぐに自殺と判断されました。通夜には400人ほどに来ていただき、出棺のときは静かに見送ってもらいました」

 アイドルとしての月乃さんを、母親はどのように見ていたのだろうか。

「歌は苦手でしたが、ダンスは得意でした。ファンへの思い入れがあり、中途半端では終われないというのが本人にはありましたね」

 ただ、月乃さんは最初からアイドル活動に興味があったわけではない。

「もともとは引っ込み思案で、地元のアイドルと仲よくなり、手紙の交換をするようになったんです。悩みを打ち明け、慰められたりもしていました。交流が続いていたために『(そのアイドルの)グループに入りたい』と言うようになっていき、名古屋市内で歌う活動を始めました」

 中学のころに受けたいじめが原因で、高校は通信制に行きこのころから精神科に通った。1年生で中退。地元のアイドルをやめて、'18年に東京へ行き、講談社主催のアイドルオーディション「ミスiD」に出場した。結果、「死んだふりして生きているのはもう飽きた」賞をとった。また「ヲルタナティヴ」というアイドルグループに参加した。

「ファンは中学生から、“孫が好きで見ていた”というおじいさんまで幅広かったです」