コロナ禍の煽りをうけて

 解散の理由を聞くと、悲しげな声色で口を開いた。

コロナもあって大変で、心がパンパンになってしまった奴がいて。俺たちが“やめろ”と言っても、志があるから“絶対やめません、続けます”って言うのが長年の付き合いでわかっているから、そいつに休んでもらうには、俺たちが“解散”って言うしかなかった。そうすれば、しょうがないじゃない。

 病気ってわけではなかったけれど、続けることで本当に病気になってしまった人をこれまでに見てきたし、自分の仲間内からそういう人が出てきてしまうのは何としてでも避けないといけないし、ここが限界かな、潮時かな、と思って」

――その人のためだけに解散を?

「うち(の劇団)は、全員が何かしらの係をやっていました。俺は作・演出だし、衣装担当とか美術担当とか……。普通の劇団では外部のプロにやってもらうことを、僕らは昔型の劇団だから自分たちでやっていました。それによる激務で、みんな疲れていたんです。でも“疲れても頑張る、大変でもやりきる”っていうのを15年続けて、“勤続疲労”みたいなものがあったから、そういうところだったんですよね……」

――なぜ、昨年7月の公演が最後だった?

北海道公演7か所っていうのは俺たちの大きい夢で、そこに向かってモチベーションも上がっていたし力が入っていたから、急にコロナの影響で4公演が中止になって、何かがポキッと折れたというか。それに、中止が決まった時点では100万円以上の赤字になる計算だったから、どうするんだ、と……。

 それでも俺が“今度で最後になると思うけど、みんな力を貸してくれ”と言ったら、その言葉をなんとかエネルギーに変えてくれたって感じだったかな。それが去年の4月くらいの話なんだけど、あのころ、先が見えなさ過ぎて……」

――資金繰りが厳しかった?

そもそも俺たちは、儲けるために公演をやっているわけじゃなくって。例えば、かかる予算が500万円だとしたら、それを全公演の売り上げでまかなう予定だった。それが半分になったから、2分の1の売り上げですべてをまかなうのは大変じゃない。お金を作ろうと車を売ったりもしたんだけど、結果的にお客さんがたくさん来てくれて赤字にはならなかった

 話を続けるほど、悲しい表情になっていく宇梶。

「最初、週刊誌って聞いて何のことかと(笑)。でも、劇団のことだって言うから、また少し悲しくなっちゃった。泣きながら別れるくらい、すごくいい仲間だったからね」

 そう言うと、車で走り去っていったのだった。

 劇団パトスパックは解散しても、その名前と劇団員たちの思いは残り続ける――。