「殿に対しては、いつものようにお忍びで女性を口説きに城下へ行き、そのまま飲み屋に流れて、まだ帰ってこない……という感覚です」

 バカ殿・二代目家老の桑野信義さんは、今なお心の整理ができず、「墓参りに行けない」と打ち明ける。

「2019年の暮れにバカ殿の収録があったんですよ。師匠(志村さん)扮する悪代官と、僕が演じる悪徳商人のコント。本物のお酒が用意されていて、師匠が『飲めよ』って。時代劇なのに、『いや、車で来ているので』と僕が返して(笑)、……最後に会ったのが、そういったシーンだったから、本当にどこかにまだお酒を飲みに行ってるんじゃないのかなっていう感じなんですよね」

 桑野さんが家老に抜擢されたのは31歳のとき。初代は、昭和を代表するコメディアンの故・東八郎さんだった。多くの喜劇人が挙手する中で、志村さんはそれらを断り、直々に桑野さんへオファーしたという。

「恐れ多くて、最初はお断りしました。ところが、志村さんから、『桑ちゃん、音楽だって最初は誰かのコピーから入るだろ。最初からラッパは吹けないだろ? やっていくうちに自分のものにしていくんだよ』と言われて。だから最初は、思いっきり東さんをまねしているんだよね(笑)。何十年とやってきて、今も正解がわからないまま爺になったんだよね」

 志村さんは、ミュージシャンと共演することを好んだ。

音楽をやっている人はテンポがわかるんだよねって話していた。舞台だと、お客さんの笑い待ちもある。それを待たないでしゃべっちゃう人もいる。そういうことを嫌う人だったから。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(1987年 フジテレビ系)で、俺に声をかけてくれたのは、そういった理由もあったんだと思います」

コントは8割の力で、残りの2割は

 コントをする際、「80%の力でやりなさいと教わった」と振り返る。

志村けんさんの『バカ殿』レギュラーだった桑野信義とダチョウ倶楽部

「100%でやると緊張して、セリフを間違える。すると、『すいません!』って止めちゃう。でも、志村さんは『自分で勝手に止めるなよ』って言うんです。師匠は人が間違えても、それを笑いに変えてくれる人。残りの20%はどうするんですか?と聞くと、『何かイレギュラーなことが起きたときに使うんだよ』って」

 桑野さんは、「俺は80%にしても間違えちゃうけど」と笑うが、80%の考え方は、自らの人生にも大きな影響を与えていると語る。

一生懸命にならない。頑張らないってことじゃなくて、頑張りすぎないってこと。頑張り続けると余裕がなくなってしまう。余裕でいてよってことなんだよね」

 シャネルズ(後のラッツ&スター)時代は、音楽の合間にミュージカルやコントをしていた。エンターテイナーを目指していた桑野さんは、“コメディアン”と呼ばれるのはウェルカムだと笑う。

「師匠のおかげです。“バカ殿”、“変なおじさん”、“ひとみばあさん”、名前を聞いただけでキャラクターが出てくるって本当にすごいこと。そんな人とコントができたんだから誇りですよ。普段はシャイな優しいおじさんなんだけど、メイクをするとどっぷりと変身する。ひとみばあさん降りてきた!って(笑)。

 師匠とまた飲みたいよね。それがまだ、できるような気がするんだよね」

くわの・のぶよし 1957年、東京都生まれ。高校卒業後、ジャズ・トランペッターとして活動。'75年に鈴木雅之らとともに「シャネルズ」を結成。'83年4月に「ラッツ&スター」へと改名後も『め組のひと』が大ヒット。ソロ活動やバラエティー出演などのタレントとして活躍。桑野信義公式YouTubeチャンネル「ガンバー桑野チャンネル」配信中。

取材・文/我妻弘崇