女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、結婚観、夫婦観について述懐する。

「男女関係は早く納得したほうがいい」

 前回もお話ししたように、私は結婚を機に、前夫であった脚本家の林秀彦の意向もあって芸能活動を休止した。女優としてもっとも脂が乗っていただろう35歳からの10年間を専業主婦として過ごしたため、女優仲間の野際陽子さんからは「もったいない」などと案じられたこともあった。

 芸能活動を休止できたのも仕事欲……というか、「欲」がなかったからだと思う。

 私は三島市の生まれだけど、伊豆の人間は、「そんなかてゃぁーこと言わねえで一杯やるべえ」という感じ。私もお酒が好きだったし、物事を深く掘り下げなかったから、前夫との結婚生活を楽しむことができたんだと思う。

 私からのアドバイス─なんて大それたものじゃないけれど、男女関係は早く納得したほうがいい。その人を好きか嫌いか考えたとき、自分が「好き」だったら諦める。私は面食いだったのでそれでOK。といっても、結果的に結婚生活に終止符を打ってしまった私が助言しても、説得力に欠けるわね。あはは。

 再独身後、私はすぐに仕事に復帰した。『エプロンおばさん』(フジテレビ系)の主演として、ドラマ出演をすることにした。だって生活をしなければならないんだもの。それまで彼から生活費をもらったことは一切なく、自分の貯金を取り崩して生活をしていた、なんとも奇妙な夫婦生活だったから。

 貯金が底をついてきたため、「あなたそろそろ苦しいわよ」と報告したこともあったけど、彼は外国のタバコをぷかぷかと優雅に吸い、原書を買い、コートもバッグも万年筆も舶来品が好き。節制という言葉を知らない。こだわりの強い人だった。

 そういえば、1976年1月8日、娘が生まれた日のこと。わが家には、前日から、遊び仲間のいっちゃんこと歌手の荒木一郎さんが、当時の女性マネージャーを連れて将棋を指しに来ていた。髪型や服装がとても個性的な女性でキュート。いっちゃんとその女性は1月8日が誕生日。結局その日3人の1月8日生まれがそろうことになった。ハットトリック。

 その席にうろうろしていた私は、明け方、陣痛が起きた。夫は泥酔していて全然役に立たない。「どこへ行くの」「病院よ」「え、何しに」という具合。仕方なくシャワーを浴び、タクシーを拾い、病院へ行って1人で手続きをして出産した。夫は結局、夕方ごろ、お姑さんに連れられて病院へ来て、遠巻きに私を見ていた。

 こうやって綴ると、なんだか彼がヒドい人のように見えるけど、「そんなかてゃーこと言わねぇで一杯やるで」気質の私に後悔はない。好きになったら諦める。そうでもないと、夫婦生活なんてやっていられない。そう思わない?

 いっちゃんは、とっても優しくていい人なんだけど、連れてくる人がコロコロ変わる。こちらは全然覚えられない。

 数年後、「その節はお世話になりました」と声をかけてきたキリッと地味な感じの女性がいて、どなた?と思ったら、1月8日生まれのいっちゃんのマネージャーだった。なんと、そのときは歌手の忌野清志郎さんのマネージャーさんになっていたの。雰囲気がまったく違っていたのでびっくりした。

 清志郎さんといえば、歌うときは派手なメイクで知られていたけど、映画でご一緒するととても気配りのできる優しい方だった。「冨士さん、ご機嫌いかがですか?」なんて、目線を合わせて話しかけてきてくれたりね。

 彼も若くして亡くなったのよね。5月2日がご命日だとか。中村勘三郎さんもだけど、神様はいい人って早く連れていってしまうのね。 

 一方、いっちゃんは、まだとっても元気。得意のマジックでショーをしてるという噂。いっちゃんは、好きなことしかしないのね。それが元気のもと、魅力。昔の仲間がまだ元気なのはうれしいものよね。

 ふじ・まなみ ●静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉